2010/08/13 00:54:04
伊達邦直(だて くになお)2
明治維新の際に奥羽越列藩同盟に参加した宗藩の命により、官軍と
交戦した。
山形で勝ち戦功を上げたが、味方の多くは官軍に下った為戦に敗れる。
戦後、それまで一万四千石あった禄高を六十五石に減封され、城は召
し上げられ家臣の士分を剥奪された。
侍ではなくなった家臣達は帰農を命ぜられたが、邦直は彼等が路頭に迷う事を
憂い、私財を処分し得た資金で新政府の推し進めていた北海道開拓を志願する。
願は許され1869年(明治2年)石狩国空知郡の支配を命ぜられた。
しかし、この空知郡は内陸部に位置し物資の輸送等が困難であったことから海岸
近くへの移転を申し入れた。
叶わず再度家老の吾妻謙が太政官に申し入れたところ、今度は不届きを理由に吾妻が自宅謹慎を命ぜられる始末であった。
その年の12月、邦直は家臣に命じ現地を調査させ、その結果を元に翌年自ら北海道に渡り調査を行った。
政府から指定された入植地は極めて大雑把な指定であって具体的に何処を開拓するかは現地機関である開拓使との交渉が必要だった。
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