2010/08/15 00:58:53
伊達邦直(だて くになお)4
当別への移転は1872年(明治5年)を予定し、邦直は岩出山に戻り
再度移住者を募った。
第2回の移住者は182人で第一陣と合流し当別の開拓に当たった。
1879年(明治12年)の第3回移住者は250人に及び、これも邦直が
募集に当たった。
また、この年当別では新たに戸長を設ける事となり元家老の吾妻謙
が就任する。
開拓使当別詰所設置に伴い邦直は
同年7月に開拓七等属・開拓使勧業課当別在勤を命ぜられる。
1881年(明治14年)2月26日准陸軍少尉に任命され、3月には開拓七等属兼務となり従六位に叙せられる。
1882年(明治15年)には所属が陸軍省となり、1885年(明治18年)5月陸軍屯田兵少尉になる。
以後も各開墾地の見分を行うが、1891年(明治24年)1月逝去する。子の基理も同年5月逝去。
翌年8月旧臣等が内務省に阿蘇神社(後の当別神社)創建を願い出て、邦直が祀られる事となる。
同年10月には孫の正人が邦直の北海道開拓に掛る功績により男爵を授けられ華族に列せられた。
1915年(大正4年)11月には邦直に正五位が追贈される。
1940年(昭和15年)、皇紀2600年を記念し北海道開拓神社に合祀される。
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