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北海道の歴史を刻んだ人々a9e3f855.jpeg

 

栗林元二郎(芽室町出身)2

 

月寒の丘に八紘学園誕生

 どんな手段を使ったかは分からないが、実際に斉藤子爵の紹介状をもって帰り、北大から佐藤昌介、南鷹次郎、拓銀の松本頭取、池田北海道庁長官などの支援を受けることになる。金がないから、ひたすら自分の信念を説くだけの戦法である。「狭い日本で農業を続けているような時代ではない。海外に雄飛する青年を育てよう」。

そこで学園には「八紘」の言葉を入れた。このあたりから「ホラ吹き栗林」の陰口が聞かれるようになるのだが、それはむしろ、彼を取り巻く一流人が、愛をこめて呼びはじめたものではないだろうか。

八紘学園は学園創設から7年の歳月をかけて磐石の基礎を作り上げた。

 学園の名物の一つにジンギスカン鍋がある。これは昭和19年、月寒の二十五連隊が樺太(サハリン)に移動するとき、栗林が壮行会を開いたことに端を発する。兵隊たちにはヒツジの肉であることを伏せ、モンゴル帝ジンギスカンの「雪原の闘い」をはなむけの訓話とした。羊肉の食習慣は、大正時代にさかのぼるようだが、ジンギスカンと呼びはじめたのは栗林の訓話によるものと考えられる。

 栗林元次郎が手八丁口八丁の人生を終えたのは、昭和52年2月。いまも残る栗林邸には、そんな彼の人生を物語る数々の遺品が保存されている。

 


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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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