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アイヌ民族の蜂起 15

 コシャマイン蜂起の4
 

   アイヌたちは、戦争というものを知らない民族であった。
武器があるわけでもないし、戦いの戦略や戦術を知る由もなかった。
自分たちが住む土地に勝手に居ついて、アイヌの弱みを突いて交易の
条件を次々と悪くしてきたことに対する不満の爆発が根底にあった。
従って、和人を懲らしめれば良い程度の気持ちがあったのであろう。

  それが、百戦錬磨の戦を生きてきた武士の魂に火が付いた。
上ノ国の花沢館主<蠣崎季繁(かきざきすえしげ)>が27歳の客将武田信広を
大将として、ウスケシ(箱館)に向けて反撃にでたのである。
上ノ国の比石館、そうして松前、福島、木古内、上磯と陥落された館に反撃の
呼びかけと武器の調達をしながら陣容を整えて進んだ。

そうして、いよいよ七重浜(現北斗市)でコシャマイン軍勢と戦になった。
この戦いは、武田信広の作戦で簡単に決着がついた。和人軍が一斉に退却を
したと見せかけ、アイヌ軍団が勢いついてきた所を信広の一矢でコシャマインを
射殺し、数名をたちどころに切り倒したのである。


和人滅亡の危機を救ったということで、武田信広の名声は高まった。
花沢館主蠣崎季繁は、安東政季の娘を養女にしていたが信広にめあわせ
蠣崎家の後を継がせたのである。 

   アイヌと和人の戦いは、コシャマインが敗れて和人の勝利となったが、
以後100年間も続く戦いの戦端を切ることになる。コシャマイン首長クラスの人物
が登場するまでには時間がかかった。


(写真は、アイヌの靴・シカの皮靴)
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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