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アイヌ民族の蜂起 14

 コシャマイン蜂起の3
 コシャマインらアイヌ軍団は志海苔舘を落とし勢いづき西へ向かった。
 箱館(はこだて/函館・河野氏)、茂別館(もべつ/上磯・下国安東氏)
 中野館(なかの/木古内・佐藤氏)、脇本館(わきもと/知内・南条氏)
 穏内館(おんない/福島・蒋土氏)  と次々と攻め、松前に入った。


 覃部館(およべ/松前・今泉氏)、大館(おお/松前・下国氏、相原氏)
 禰保田館(ねぼた/松前・近藤氏)、原口館(はらぐち/松前・岡辺氏)
 と制覇し、更に北上し上ノ国に向かった。


 比石館(ひいし/上ノ国・厚谷氏)、花沢館(はなざわ/上ノ国・蠣崎氏)
 と和人の館12ヶ所を一ヶ月ほどで攻め落としたのである。

 
凱旋してウスケシに戻ってきたが、完全に落としきれてなかった館があった。
上磯の茂別館(下国安東氏)と上ノ国の花沢館(蠣崎氏)の2つの館だった。
上磯の茂別館は、安東盛季が最初に居住したところで、この時には
安東家四代目の政季が弟の家政に預けて蝦夷地を後にしていた。
上ノ国の花沢館は、蠣崎季繁とその客将武田信広がいた。
武田信広とは後の松前藩開祖である。

 
(写真は、和人からアイヌに対する交易品・盃、椀)
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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