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アイヌ民族の蜂起 13

 コシャマイン蜂起の2
 

 志海苔(シノリ)の長老は、自分では解決できないと思いウスケシ
 (現在の函館で、アイヌ語の湾の端の意) のコシャマイン首長に助けを求めた。
コシャマインはアイヌだけでなく、和人や館の豪族からも一目置かれていた人物だった。

 しかし、志海苔舘の小林太郎左衛門良景は
「太刀を罵倒した青年のほうこそ大罪なり」とアイヌにこそ非があると譲らない。
アイヌの不満は、いよいよ頂点に達したのである。

 
 冬が過ぎて、又春が来た。
1457年(康正3年)5月、コシャマインがシノリ(志海苔)やウスケシ(宇須岸)の
アイヌに呼びかけて志海苔舘に攻め寄った。
アイヌが初めて和人に戦いを挑んだのである。

アイヌは元々戦など知らない
武器といっても狩猟の弓や和人から手に入れた小刀程度である。
人数はふくれあがり2-300人となり、女子供が叫びながらの攻撃であった。
志海苔舘は、城のような城壁はなく、土を盛った境界であるのと和人は商人
のようなもので人数も少なかった。
何よりも、おとなしいと思っていたアイヌ反乱の不意打ちで志海苔舘は落ちた。
コシャマインの蜂起は、これが始まりだった。
 
(写真は、アイヌの山刀)
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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