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アイヌ民族の蜂起 17

 武田信広(松前藩開祖)

  コシャマインとの戦いで、アイヌ総大将の首を討ち取った花沢館主
蛎崎季繁の客将武田信広は蝦夷地における地位を決定的なものとした。
花沢館主の蛎崎氏養女(茂別館主下国の娘)と結婚し家督を相続し
蛎崎信広と名乗った。
また、戦乱を逃れて上ノ国に集住してきた人々を抱えて、新たに天ノ川の
北側に州崎館、ついで花沢館の西側に勝山館を築いた。
勝山館(1462年築城)の跡地が残っており、国指定史跡となっている。
 

 勝山館がある上ノ国とは、渡島半島南部に位置し車で北に10分ほどで
江差である。
日本海に注ぐ天ノ川河口に近く、南北にのびる台地となおり標高159mの
夷王山(いおうざん)がある。国道228号線「道の駅もんじゅ」の手前を左折し
500mほど山の中腹まで車で登り、後は徒いて山頂まで登ることが出来る。

 山頂には鳥居が置かれており、武田信広を祀る「夷王山神社」がある。
山頂から眺めると勝山館というのは、夷王山の地形を良く利用した館であ
ることが分かる。三段構えの要塞となっており、堅牢無比の山城である。 
武田信広は勝山館に八幡宮を建立し、1494年に勝山館にて64歳で亡くなった。

(写真は、エゾノヨロイグサ)
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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