2013/03/01 09:59:32
アイヌ民族の蜂起 25
砂金と鷹待
蝦夷の松前藩は、他の藩のような米高がなく本州商人から入手した
米・酒・煙草・鉄製品・古着・漆器などを藩主の商場に行き、アイヌ側の
干鮭・熊胆・鹿皮・オットセイなどと交換し、その物品を松前で本州商人
に売却して利益を得ていた。
和人地のエリアがあったが、砂金と鷹だけは別物であった。
特に鷹の売り代金は藩主財政の三分一前後をしめていた。
幕府の軍事権力のシンボルともいえる放鷹・鷹場制度、鷹・鷹の獲物を
めぐり献上・贈答の儀礼が蝦夷の鷹を後押ししていた。
17世紀の後半には、この鷹待(鷹を捕まえる者)が蝦夷地に多数入り込み、
静内のシャクシャイン蜂起の一因ともなった。
アイヌの首長たちは、江戸幕府の情報源となり、本州商人にとっては
蝦夷地を知る情報交換を対等のものとしていた。
更に、松前藩にとっては砂金も鷹もアイヌ漁猟とは関係ないため、蝦夷の
奥までの出入りを許可し、しかも税の対象とし大きな資金源であった。
(写真は、鷲の羽)
砂金と鷹待
蝦夷の松前藩は、他の藩のような米高がなく本州商人から入手した
米・酒・煙草・鉄製品・古着・漆器などを藩主の商場に行き、アイヌ側の
干鮭・熊胆・鹿皮・オットセイなどと交換し、その物品を松前で本州商人
に売却して利益を得ていた。
和人地のエリアがあったが、砂金と鷹だけは別物であった。
特に鷹の売り代金は藩主財政の三分一前後をしめていた。
幕府の軍事権力のシンボルともいえる放鷹・鷹場制度、鷹・鷹の獲物を
めぐり献上・贈答の儀礼が蝦夷の鷹を後押ししていた。
17世紀の後半には、この鷹待(鷹を捕まえる者)が蝦夷地に多数入り込み、
静内のシャクシャイン蜂起の一因ともなった。
アイヌの首長たちは、江戸幕府の情報源となり、本州商人にとっては
蝦夷地を知る情報交換を対等のものとしていた。
更に、松前藩にとっては砂金も鷹もアイヌ漁猟とは関係ないため、蝦夷の
奥までの出入りを許可し、しかも税の対象とし大きな資金源であった。
(写真は、鷲の羽)
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