2013/02/12 09:42:26
12の舘
安東盛季が領主として松前に上陸し、茂別(現在の上磯)に館を築き居住した。
わずか2年で生を終えるが、子の康季、康季嫡子の義季、養子の政季と安東家を
継いで行く。
この間に、津軽に渡り祖地の奮還を計るがことごとく返り討ちにあい悲願は達せら
れることはなかった。しかし、安東氏の勢力は渡島半島沿岸にできていた。
現在の函館空港があるあたりから、日本海の上ノ国に至る沿岸に添って12の舘
が作られていた。
志海苔館(函館市志海苔町)、中野館(木古内町中野)、
脇本館(知内町涌元)、 穏内(おんない)館(福島町吉岡)、
覃部(およべ)館(松前町東山)、禰保田(ねぼた)館(松前町館浜)、
原口館(松前町原口)、比石(ひいし)館(上ノ国町石崎)
等が点在していた。
先住人は漁労・狩猟民族であるアイヌと、これに雑居する和人であった。
和人は前述した奥州の残党・京からの流刑人である。
彼らは、いずれもアイヌと同じく原始的な漁労や狩猟を主とし、またはそれらの交易
をもって生きる術を得ていた。
交易には、ともすれば略奪的となる危険性は充分に考えられることであった。
(写真は、発掘された函館付近にあった志海苔舘)
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