2013/02/13 07:24:27
アイヌ民族の蜂起 9
志海苔館(シノリダテ)
蝦夷の特産物として、宇賀の昆布・鮭が挙げられる。
宇賀昆布とは、いまの函館市銭亀沢で、のちに志海苔昆布として
知られるようになった。
交易は、館主が主体となって独占し、アイヌとの間では物々交換
が主であったが、本土商人との間では通貨が使われていた。
昭和の時代に志海苔館付近からは大量の古銭が出土し、箱館地
方の経済活動を知る貴重な史料となっている。
また、この志海苔地区では良質な砂鉄が取れていた。
鍛冶屋が津軽や南部から移り鍛冶屋村をつくり、その数は 100戸を
数える和人が進出していた。
この志海苔を仕切る館の主が、小林太郎左衛門良景という豪族で
あった。
康正2年(1456)、この志海苔の鍛冶屋村でアイヌの青年が殺される
事件が起きたのである。
(写真は、アイヌの交易製品・昆布)
志海苔館(シノリダテ)
蝦夷の特産物として、宇賀の昆布・鮭が挙げられる。
宇賀昆布とは、いまの函館市銭亀沢で、のちに志海苔昆布として
知られるようになった。
交易は、館主が主体となって独占し、アイヌとの間では物々交換
が主であったが、本土商人との間では通貨が使われていた。
昭和の時代に志海苔館付近からは大量の古銭が出土し、箱館地
方の経済活動を知る貴重な史料となっている。
また、この志海苔地区では良質な砂鉄が取れていた。
鍛冶屋が津軽や南部から移り鍛冶屋村をつくり、その数は 100戸を
数える和人が進出していた。
この志海苔を仕切る館の主が、小林太郎左衛門良景という豪族で
あった。
康正2年(1456)、この志海苔の鍛冶屋村でアイヌの青年が殺される
事件が起きたのである。
(写真は、アイヌの交易製品・昆布)
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