2013/02/14 09:32:23
アイヌ民族の蜂起 10
刺殺事件
アイヌ民族と和人(日本人)との戦いで大規模なものは3回あった。
第一回目は1456年のことで、戦いの発端は鍛冶屋がアイヌ青年を
刺殺したことだった。応仁の乱のまだ前の話である。
日本史の教科書に太田道灌があるが「コシャマインの戦い」は出てこない。
司馬遼太郎がこのアイヌ青年の死に対する和人の態度に対して
次のように書いている。
「この鍛冶のいやらしさに、当時からこんにちにいたる
和人というものの象徴を見る印象がある」
しかし、和人であるいやらしさはこれが始まりで333年に渡って続き、
更に今日にまで引き継がれているのである。
福島の原発に対する東京電力の対応は、アイヌ青年に対する和人の
態度とダブってくる。更に、子供のイジメや暴力が問題となっているが、
本来日本人が持っている性格の原点を見る思いでもある。
明日から、コシャマインの戦いが何故起きたのかを掲載していきたい。
(写真は、北海道の花のエゾカンゾウ)
刺殺事件
アイヌ民族と和人(日本人)との戦いで大規模なものは3回あった。
第一回目は1456年のことで、戦いの発端は鍛冶屋がアイヌ青年を
刺殺したことだった。応仁の乱のまだ前の話である。
日本史の教科書に太田道灌があるが「コシャマインの戦い」は出てこない。
司馬遼太郎がこのアイヌ青年の死に対する和人の態度に対して
次のように書いている。
「この鍛冶のいやらしさに、当時からこんにちにいたる
和人というものの象徴を見る印象がある」
しかし、和人であるいやらしさはこれが始まりで333年に渡って続き、
更に今日にまで引き継がれているのである。
福島の原発に対する東京電力の対応は、アイヌ青年に対する和人の
態度とダブってくる。更に、子供のイジメや暴力が問題となっているが、
本来日本人が持っている性格の原点を見る思いでもある。
明日から、コシャマインの戦いが何故起きたのかを掲載していきたい。
(写真は、北海道の花のエゾカンゾウ)
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