北海道へ志願して渡った士族たち 7
胆振国室蘭郡チマイベツ(現室蘭市)
明治3年 仙台藩士・石川源太邦光
旧角田藩主の石川邦光(角田2万1300石)
伊具・刈田など仙南5郡は南部氏の領地となり白石藩が置かれる
胆振国室蘭郡の支配を命じられたのは、旧角田藩主の石川邦光です。
明治3年3月16日、仙台の角田村をあとにし藩主石川邦光の重臣添田竜吉と
添田の弟・泉麟太郎が率いる第一陣の移住者(44戸51人)が室蘭に着いたの
は4月6日でした。(石川邦光は開拓には来なかった)
入植した場所は、チマイベツ(石川町・香川町)に27戸、本輪西・幌萌・知利別
に17戸で、一行は、とりあえず雨露をしのぐ程度の掘っ立て小屋を組んで身を伏
せました。しかし、石川邦光の父が病気になり、家臣1,300戸の自費移住は財政
上無理、また帰農を願い出たものが多く頓挫しこれにより邦光は1ヶ月の謹慎、
その地は伊達邦成と片倉邦憲に分割されました。
明治5年9月に開拓使の通達で士族から平民に落とされてしまいます。
平民に落とされたために、開拓使からの移住に係る補助や給与、開拓費の貸付な
ども切られてしまいました。生活困窮により、若い人を連れて中山峠、本願寺道
路の土木工事に行ってお金を稼ぐことや、兄の添田龍吉と同地の輪西(わにし)
で塩や氷、そして網をつくるなどして、移住者たちの生活を支えました。
明治6年、13歳の旧藩主邦光の弟、石川光親が3戸の同志を伴って移住、さら
に明治14年には、61戸211人が移住してきました。
事業としては、石川町や本輪西町で養蚕をしたり、現在の本輪西駅前付近で鋳
物場を建て、日用家庭器具の製造も行っていました。最も成功した事業は、輪西
氷と呼ばれたもので、コィカクシ川から水を引き、貯水場を作り、夏はコイ・ヤ
マメ・ウナギを養殖し、12月からは水を凍結させ、大阪方面に出荷しましたが、
良質であるため暑い関西では大変重宝がられ好評を博しました。