2011/08/25 00:15:21
明治4年<本願寺道路(現在の国道230号の基礎)>
本願寺道路が作られた経路は、明治2年に札幌に北海道の本府を置くことが決
まると、ロシアの南下政策の脅威に対抗するため、大量の移民入植が必要でした。
そのためには箱館から札幌へのルート開拓は急務とされました。
このとき財政難の明治政府は、徳川家の恩顧であった東本願寺を動かして道路開
削を出願させます。
現在の国道230号は、札幌市を起点とし、久遠郡せたな町を終点とする208.2km
の一般国道となっていますが、当時のルートは伊達市から洞爺湖沿岸を経た後に
現在の230号線ルートに入り、旧平岸村へ至る街道でした。
明治3年、東本願寺代表現如らによる北海道開拓活動として伊達~札幌を直結する
通称「本願寺道路」の開削工事を開始。
工事の労働には僧侶のほか、士族と平民の移民、アイヌが従事し約103kmの道路
を開削し一年余で完成させます。
本願寺道路が作られた経路は、明治2年に札幌に北海道の本府を置くことが決
まると、ロシアの南下政策の脅威に対抗するため、大量の移民入植が必要でした。
そのためには箱館から札幌へのルート開拓は急務とされました。
このとき財政難の明治政府は、徳川家の恩顧であった東本願寺を動かして道路開
削を出願させます。
現在の国道230号は、札幌市を起点とし、久遠郡せたな町を終点とする208.2km
の一般国道となっていますが、当時のルートは伊達市から洞爺湖沿岸を経た後に
現在の230号線ルートに入り、旧平岸村へ至る街道でした。
明治3年、東本願寺代表現如らによる北海道開拓活動として伊達~札幌を直結する
通称「本願寺道路」の開削工事を開始。
工事の労働には僧侶のほか、士族と平民の移民、アイヌが従事し約103kmの道路
を開削し一年余で完成させます。
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