2011/08/30 00:25:38
明治5年<永山 武四郎>
1837年5月28日~明治37年(1904年)5月27日)亡くなる。
日本の陸軍軍人、華族。
天保8年鹿児島藩士、永山盛広の四男として生まれた武四郎は、同じく鹿児島
藩士の永山喜八郎の養子となる。
戊辰戦争に従軍し、維新後の明治4年7月陸軍大尉・2番大隊付に任命される。
明治5年9月から開拓使に移り、北海道開拓使八等出仕となる。
明治8年3月に陸軍准少佐・開拓使七等出仕、屯田事務局付。
明治10年4月に屯田兵第1大隊長に就任し堀基大佐の指揮のもと、西南戦争
に従軍する。
戦争から帰還した後は開拓少書記官・屯田事務局副長・屯田事務局長と累進し、
階級は屯田兵大佐となる。
札幌市中央区北2条東6丁目に「旧永山武四郎邸」が保存されております。
永山は明治21年6月から第2代目北海道庁長官を兼ねた方です。
また、明治22年には屯田兵司令官に就任し、北海道庁長官退任後の明治28年
には臨時第7師団司令官ともなりました。
永山武四郎については、屯田兵で詳しく掲載します。
1837年5月28日~明治37年(1904年)5月27日)亡くなる。
日本の陸軍軍人、華族。
天保8年鹿児島藩士、永山盛広の四男として生まれた武四郎は、同じく鹿児島
藩士の永山喜八郎の養子となる。
戊辰戦争に従軍し、維新後の明治4年7月陸軍大尉・2番大隊付に任命される。
明治5年9月から開拓使に移り、北海道開拓使八等出仕となる。
明治8年3月に陸軍准少佐・開拓使七等出仕、屯田事務局付。
明治10年4月に屯田兵第1大隊長に就任し堀基大佐の指揮のもと、西南戦争
に従軍する。
戦争から帰還した後は開拓少書記官・屯田事務局副長・屯田事務局長と累進し、
階級は屯田兵大佐となる。
札幌市中央区北2条東6丁目に「旧永山武四郎邸」が保存されております。
永山は明治21年6月から第2代目北海道庁長官を兼ねた方です。
また、明治22年には屯田兵司令官に就任し、北海道庁長官退任後の明治28年
には臨時第7師団司令官ともなりました。
永山武四郎については、屯田兵で詳しく掲載します。
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