和寒町(わっさむちょう)
アイヌ語の「アッサム(at-sam)」
(オヒョウニレの木・(の)傍ら)
から地名がついたとされる。
「輪寒」「和参」と書かれた時代もあった。
和寒町は、上川支庁管内上川郡にある町。
かぼちゃやキャベツ、アスパラなどの野菜や、きのこの生産が盛ん。
キャベツを、収穫せずそのまま雪の下で保存する「越冬キャベツ」発祥の町。
和寒町
南の比布町との境には塩狩峠がある。
明治42年2月28日、ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の
連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道員でありキリスト教徒であった
長野政雄(ながのまさお)という男が列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命
が救われたという事故が起こった。
現在、塩狩峠の頂上付近にある塩狩駅近くには、この事に対する顕彰碑が立てられている。
この実話を元に、三浦綾子が「塩狩峠」を著し、これを記念し塩狩峠記念館及び文学碑が建てられた。
写真右上⇒塩狩峠記念館
名寄市
30,919人(人口、2009年3月31日)
市名の由来はアイヌ語の「ナイオロプト」(渓流に注ぐ口)。
名寄川が天塩川に注ぐ様子をいったもの。
明治33年
山形県東栄村(旧藤島町、現鶴岡市)から開拓団が集団移住した。
大関 名寄岩
銅像⇒名寄市西7条南12スポ-ツセンタ-前広場
名寄という地名を全国に広めた
名寄市出身(生まれは小樽市)の力士
本名は岩壁静雄(1914年-1971年)、
初土俵以来44場所を努め、40歳で引退する。
最高位は大関で同じ立浪部屋の双葉山、羽黒山とともに「立浪三羽烏」と称された。
真面目、頑固一徹な人柄と一本調子な取り口から「怒り金時」とも。
名寄岩の人気が沸騰したのは2度目の大関陥落後で、40歳で金星と敢闘賞を獲得、関脇まで返り咲いた。
その劇的な土俵人生は「涙の敢闘賞」として舞台化、映画化もされたという。
士別市
22,666人(人口、2009年3月31日)
明治32(1899)年に最北で最後の屯田兵の
入植(約100戸)によって開拓の鍬がおろされた
旧「士別市」は、昭和29年(1954)に当時の
士別町・上士別村・多寄村・温根別村の1町
3村が合併し、道内20番目の市として誕生。
一方、明治38(1905)年の御料地貸下げによって
開拓の歴史が始まった旧「朝日町」は、昭和24(1949)年に
上士別村から分村独立し、昭和37(1962)年には町制を施行しました。
平成16年4月には、「士別市・朝日町合併協議会」を設置し
平成17年9月1日、新生「士別市」を誕生させ、新たな歴史を刻み始めました。
開拓の歴史は、天塩川流域の豊富な水と肥沃な大地や緑の山々などの
豊かな自然に恵まれるなか、屯田兵の入植や御料地の貸下げなどを背景に、
先人たちの開拓精神とたゆまぬ努力のもと、農林業を基幹産業として発展してきました。
大正時代には澱粉製造、昭和初期からは製糖で知られ、現在も甜菜糖の工場があり、
主要な産業となっている。
弟一次産業が主たる産業であり、農業、林業、畜産業が経済の中核を担っている。
「サフォークランド士別」をキャッチフレーズに羊の牧畜に力を入れており、
市営の牧場にはサフォーク種を中心に約30種類のめん羊が飼育されている。
郊外の観光施設「羊と雲の丘」「めん羊牧場」では、めん羊の放牧や飼育風景を見ることができる。
富良野市
24,488人(人口、2009年3月31日)
1897年(明治30年)
三重県からの入植者が扇山地区に入る。
富良野村が設置、歌志内村外一箇村戸長役場がおかれる。
地名はアイヌ語の「フラーヌイ」(におう炎
臭いニオイのするところ)に由来。
十勝岳の噴気にちなんだといわれる。
富良野市は北海道のほぼ中央に位置し「へそ」のまちとして、
西に夕張山系芦別岳、東に十勝岳連峰に囲まれ、清流空知川がもたらす
肥沃な大地に、農業と観光を基幹産業に発展をしている田園都市。
テレビドラマ「北の国から」・「優しい時間」の放映などにより富良野の知名度
は一躍全国区となったことや、過去13回のワールドカップをはじめとする
国際大会開催の実績のある富良野スキー場でも知られている。
富良野を舞台にしたドラマ
北の国から(フジテレビ、1981年-2002年)
優しい時間(フジテレビ、2005年)
風のガーデン(フジテレビ、2008年)
当麻町(とうまちょう)
総人口は7,626人
明治26年、広島・山口などから400戸の屯田兵が入植、
明治33年にはそれまでの永山村から分村し、当麻村と改称されました。
北海道のほぼ中央に位置しており、大雪山連峰を望み、
豊かな森林と肥沃な大地に恵まれています。
山と河川に囲まれ、南西部から北にかけては山林地帯を形成、
自然の丘陵が起伏しながら大雪連峰に連なっています。
北海道農協米対策本部が平成11年より発表している
米の総合評価で、当麻産米が『10年連続北海道一(全道一)』
となりました。
道の駅・当麻町物産館では『今摺米』として販売しています。
当麻町には夏バラ日本一の評価を受ける『大雪の薔薇』、
初出荷ご祝儀価格で1玉65万円の破格値をつける高級ブランドスイカ
『でんすけすいか』(第35回日本農業賞大賞受賞)など、全国的に名の知られた
当麻町こだわりの一品がたくさんあります。
旭川市旭山動物園
日本最北の動物園。動物の自然な生態が見られる
行動展示を実施して、一躍有名になった。
北海道では1951年に札幌市円山動物園が開園。
1960年前後から全国の地方都市で盛んに動物園が建設されるようになり、
1963年にはおびひろ動物園が開園。
旭川市でも当時の五十嵐広三市長(後の建設大臣・内閣官房長官)が、
1964年度以降開園へ向け予算をつけ、市の東部にある旭山が選ばれた。
1966年4月着工して各地に預託されていた動物を運び入れ開園したのは
1967年7月1日である。
当初の動物は75種505点だった。なお、これにはコイ200匹も含まれている。
当初40万人ほどだった年間入園者数は、旭川市の人口増とともに右肩上がりに増加したが、
1983年の約59万7千人をピークに減少に転じた。
これを打開すべく、1997年より行動展示を実現する施設づくりに着手した。
同年には巨大な鳥籠の中を鳥が飛び回る「ととりの村」が完成。
翌年以降「もうじゅう館」「さる山」「ぺんぎん館」「オランウータン舎」「ほっきょくぐま館」
「くもざる・かぴばら館」と毎年のように新施設をオープンさせ、そのたびに入園者を増やしている。
1997年以降は入園者数が増加し、2006年度の入園者数は300万人を超え、
350万人の来園者があった上野動物園に次いで国内2位、世界レベルでも上位の入場者数を誇る。
旭川市科学館 サイパル
住所: 旭川市宮前通東(北彩都あさひかわシビックコア地区)電話: 0166-31-3186
平成17年7月23日に旭川市青少年科学館から名称を変更し,
常磐公園から宮前通東「北彩都あさひかわシビックコア地区」
に移転・新築されました。
館内には科学について楽しく体験して学べる「北国」「地球」「宇宙」を
テーマにした展示スペース。
実験や研究に利用できる各種実験室・学習室。
天体や天文に関する知識を学べるプラネタリウムや天文台を収容。
そして敷地内には,鳥や昆虫などが観察できる自然観察空間を設け,
近隣の神楽岡公園や忠別川河畔林などの豊かな自然に囲まれ,伸び伸びとした空間で自然科学をはじめとするさまざまな科学を学ぶことができます。
天文台には,大小2つのドームがあり,それぞれ大型の天体望遠鏡が設置されています。
望遠鏡の口径が大きいため,市街地でも多くの星がはっきりと見え,昼間でもある程度の明るさの星が観察することができます。
最新式のプラネタリウム投影機を導入し,直径18メートルのドームに季節ごとの満天の星空を再現します。また,星空投影だけではなく,ドームを利用した全天周ドーム映像やスライド映像,星を見ながらの天文コンサート,星にまつわる占いなど,天体や天文現象をより身近に親しんでもらえるように,さまざまな取り組みを行っています。
平和通買物公園
平和通買物公園(へいわどおりかいものこうえん)は,旭川駅前から8条通に
至るまでの約1kmに渡る歩行者天国である。(道路幅員:20m)
1972年6月1日に日本初の恒久的歩行者天国として開設された。
五十嵐広三市長(後の衆議院議員、建設大臣・内閣官房長官)が1963年に
37歳の若さで旭川市長に当選すると、平和通の歩行者天国(買物公園)化に
ついて具体的に検討を進め、1965年に平和通買物公園構想の立案計画を
市政方針で発表した。
ヨーロッパのモールのように、ゆったりと買物が楽しめる緑の空間を造りだし、
モータリセーションに対抗して「人間性回復」をアピールすることにより、
平和通商店街の繁栄・魅力づくり、旭川のイメージアップに役立たせようとす
るものだった。
旭川駅前の歴史
1898年、旭川に待望の鉄道が開通した。
上川線が旭川まで延伸開業され、北海道の海の玄関であった小樽港と鉄路で結ばれたのである。
また、1894年に勃発した日清戦争後の国策(軍備拡張)により、陸軍第七師団が鷹栖村字近文
(現:旭川市近文)に拡張・移転されることになった。
各連隊の移駐は1900年から順次開始された。
そのような経過から、旭川駅前から旭橋を経由して陸軍第七師団まで通じる道路は、自然発生的に「師団通」と呼ばれるようになった。神居古潭 (かむいこたん)
アイヌ語で「神の里」を意味し、
石狩川の急流沿いに奇岩怪石が約10km続く。
渓谷の濃緑色及び黒色質の岩石は神居古潭石と呼ばれ、
また吊橋付近には激流がつくる「神居古潭おう穴群」
<昭和41年(1966年)に市の天然記念物指定>がある。
英雄神と魔神の戦いを描いた「サマイクル伝説」やフキの下の
小人「コロポックル伝説」などが語り継がれている。
カムイコタンの伝承
石狩川が急峻な流れを持つことから、以下のような伝承(ユーカラ)が
生まれたといわれ、現代に伝えられている。
かつてこの地にはニッネカムイ(またはニチエネカムイ)が住んでいた。
ニッネ(悪い)+カムイで、悪神・魔神と訳される。
ニッネカムイはこの地に大きな岩を投げ込み、往来するアイヌを溺れさせようとした。
ヌプリカムイ(山の神)が見とがめて岩をどかすが、ニッネカムイは怒ってヌプリカムイ
と争った。英雄サマイクルがヌプリカムイに加勢したため、ニッネカムイは逃げようとし
たところ川岸の泥に足を深く沈めてしまい、動きが止まったところでサマイクルに切り殺された。
川岸に残る大きな甌穴は、そのときにニッネカムイが足を取られた跡であるという。
井上 靖
井上 靖(いのうえ やすし、明治40年~平成3年)は、小説家、詩人。
旭川町(現・旭川市)に軍医・井上隼雄と八重の長男として生まれる。
井上家は静岡県伊豆湯ヶ島で代々続く医家。
小説は知識人の孤独な魂を叙情豊かに描いた、現代を舞台とする
もの(『猟銃』『闘牛』『氷壁』他)、自伝的色彩の強いもの(後述。
『あすなろ物語』『しろばんば』他)、日本及び中国の歴史に取材した
もの(『敦煌』『風林火山』『おろしや国酔夢譚』他)に分別される。
井上靖記念館
旭川市春光5条7丁目 Tel. 0166-51-1188
井上靖記念館は井上靖が旭川で生まれたことを記念して,1993(平成5)年7月24日に開館しました。
この記念館には,旭川への思いをつづった自筆ノートをはじめ,直筆原稿,文学作品,親交のあった芸術家の作品など,井上靖の83年の生涯を紹介する貴重な資料が展示されています。
また,常設展示のほかに定期的に企画展を開催したり,文学講演会や文学講座,ロビーコンサートなどの行事も行っています。
記念館内ラウンジには,井上靖や日本の近代文学の書籍,北海道の郷土資料本,各地文学館の出版物及び関連図書などが置かれており,読書をしながらゆっくり とくつろいでいただくことができます。
写真手前が井上靖記念館。すぐ横に旭川市彫刻美術館があります。