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江差の繁次郎(民話)

 

江戸時代、江差に実在していたといわれる繁次郎。53085156.jpeg

国道227号線沿いの「道の駅・江差」には、
繁次郎の像がヒョーキンな顔
で立っている。

文化年間の生まれで明治の初めに六十才くらいで死んだという。

 

繁次郎の“とんち”話として伝えられているものの中には、
落語のネタや
諸国の“とんち”話と共通するものも少なくないが
江差地方でなければ
筋道の合わないような“とんち”話も残されている。

 

近所の若い者が集まっているところへ、ぶらりとやって来た繁次郎。

「どうだおめえたち、俺と賭けをやる者はいねえか」

「また一杯食わせる気だべ」

「ま、聞けてば。あのな、豆腐一丁ば四十八に切って、一口ずつで食うんだ」

「そったらこと、赤ビッキ(赤ん坊)でもできるべせ」

「本当だな。いいか豆腐を四十八に切って、一つずつ食うんだぞ。

見事に食った者にァ一升やるが、もし食い切れなかったら俺がそいつから一升もらう」

 

こんなわけで早速一升の賭けが始まった。

豆腐一丁がまな板に上げられると、うやうやしく包丁を取り上げた

繁次郎は、まず豆腐の小口を薄く一枚に削り取り、それをコチャコチャと四十七に刻んだ。
そして残った大きな豆腐と合わせて四十八を相手に差し出し

「さ、見事に一口ずつでマグラって(食べて)みろ」

どんな大口を開けても最後の一口だけはなんともできず、この賭けは繁次郎の勝ちに決まった。

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横山家(江差の百選・建物)

 

江差が100年先まで残したいと選定した建物の一つ。d6501f23.jpeg

 

道有形民俗文化財に指定されている、旧回船問屋です。

横山家は
明和6年(1769)から漁業、商業、回船業を営んでいましたが、
明治25年に火事で焼け、
旧建物を再現して現在の横山家を建築しました。

正面から入ると、土間庭と店舗部分があり、奥には土蔵が
4つありますが、この土蔵は焼けておらず江戸時代からの
貴重な文書等も、焼失を免れたそうです。
土蔵のさらに奥からは、昔は海に直接続いていて、接岸した
船が荷積みを直接店から行えるようになっていました。
現在は国道に面しています。

現在でも横山家には横山さん一家が住んでいて、中へ入ると
横山家やニシンのお話などのガイドをしていただけます。
にしんそばも食べられます(900円)。

京都名物として知られる「ニシンそば」は、
かつて江差から北前船によって日本海を経由して、周山街道、若狭街道の
ニシンロードで運ばれたニシンによって作られたもの。

「それならもともとのルーツは江差ではないでしょうか」
と言うのは、江差町で現在もニシンそばの味を守っている横山家ご主人のご意見です。



江差追分 (追分会館)

 

追分節は
江戸時代から信州中仙道で唄われた馬子唄がルーツ。
41dc6ca4.jpeg

一種のはやり唄として全国各地に広まり、越後に伝わったものは
船歌とし
て船頭たちに唄われるようになって、
今から200有余年ほど前に北前船
によって江差に運ばれてきた
といわれています。

さらに江差では、座頭佐之市がケンリョウ節と追分を融合させて
独特の音
調をもつ江差追分を誕生させた。

 

昭和38年から開催している江差追分の全国大会。

江差追分会は全国に155支部、3,928人(平成18年4月現在)
会員を有しています。

 

江差追分会館

昭和57年に町民や追分愛好者の厚意によって建設されました。

館内には、追分資料室・伝習演示室・追分道場等、江差追分を心行くまで堪能できる、
正に「追分の殿堂」としての機能を充実しております。



姥神大神宮 うばがみだいじんぐう

北海道最古の神社が江差町にあります。
13.jpg
社伝では鎌倉時代(1216)の創建と伝えている。

「折居様」と呼ばれる老姥が津花に庵を結んでいたが、
ある夜、神島(かむいしり)から光が発せられているのを見て島に渡り、
そこで老翁に会った。
老翁から瓶子(とつくり)を授けられ、
「その中の水を海に撒くと鰊という魚の群れがやって来る」と教えられた。
老姥はこのことを村人に伝え、網を作らせ水を撒いて大漁となり、
飢を救った。

その後、老姥は姿を消したが、庵に残されていた神像を「姥神」
として祀ったのが当社の始まりという。
現在境内にある折居社は、後に姥神を祀ったものであるという。


折居婆さんを祀る折居社跡地が、アネロイド気圧計のある通りに残されています。
また、折居婆さんが投げた瓶子は、鴎島そばの「瓶子岩」となったのだそう。

例祭は811日で、10日から江差の町中を山車行列が巡る「姥神大神宮渡御祭」は、
今からおよそ350年前から始まったという、北海道の中でも最も古い歴史を持つお祭です。

 

 

開陽丸

 f6668511.jpeg

「葵の枯れゆく散り際に開陽丸」
と詠われた徳川幕府の巨船開陽丸。

オランダで建造されて僅か1年7ヶ月後の
明治元年(1868年)11月15日に、江差沖で座礁、沈没。

それから124年、平成2年4月に実物大で再現。

昭和50年から始まった引き揚げ作業で発掘された遺物は
32,905点に及んでいます。

開陽丸は、日本の近代化に著しく貢献し、オランダ留学を果たした
榎本武揚はじめ14名のありし日の姿など、貴重な資料、遺品の数々
が船内に保管展示されています。



江差町 

人口10,131人 

(平成17年)

 北海道の南西部に位置し、
北海道文化発祥の地ともいわれる江差町。
esashi_u.jpg 

 

町名「江差」はアイヌ語「エサシ」(昆布の意)
からでたもの。

江戸期のニシン漁最盛期には「江差の五月は江戸にもない」
といわれる程繁栄を極め、北前船交易によりもたらされた
江差追分などの伝統芸能や生活文化が数多く伝承されています。

安政元年箱館奉行の支配となり、
明治2年7月函館県に属し、同年9月弘前県に合併され、
同年11月青森県に属した。
同5年開拓使函館支庁の所属となり、町役人を廃し、戸長役場を設置した。

江差町のシンボル「かもめ島」

 

 

 

 



道の駅上ノ国もんじゅ 

 

「上ノ国もんじゅ」は
追分ソーランラインの国道228号沿いに位置し、
kaminokuni.jpg

松前藩の始祖、武田信広が築いた山城「勝山館」跡がある
夷王山の麓にある道の駅です。
 

名前の「もんじゅ」の由来は、
駅から20mほど離れた場所にある

知恵の仏・文珠菩薩に似た「文珠岩」からつけられました。

勝山館や上国寺、上ノ國八幡宮、笹浪家
からも近いので、旧跡を訪れた
あとの小休止にはピッタリの場所です。
また、道の駅の海側には遊歩道があります。



上国寺本堂(じょうこくじほんどう)

 

上国寺本堂は、国重要文化財に指定されています。

joukoku2.jpg
寺伝では、嘉吉3年(1443)に真言宗の僧、秀延が創立したと
伝えられています。

道内最古級の建築物。建立当時のままの姿をしている。
見学は自由だが、寺内見学の場合は要問い合わせ。

現在は浄土宗のお寺。

本堂の内陣天井に支輪に宝暦8年(1758)の墨書があり、細部
の様式などからもこの頃の建立であると思われていますが、そ
の建築年代は上限を永禄年間(155870)に、下限を寛永年間
16241644)に見ることができるそうです。

所在地
上ノ国町字勝山     01395-5-2230     国道228号線沿い



上之国勝山館跡 (上ノ国町)

 

勝山館ガイダンス施設

 

 14世紀末から蝦夷地道南には渡党と呼ばれる
和人勢力が道南12館と
f1090a1a.jpeg呼ばれる居館に居住し、アイヌと
交易することで経済基盤をなしていました。

しかし長禄元(1457)年に「コシャマインの乱」
と呼ばれるアイヌ
の武力蜂起が起き、道南12館は
花沢館を除き落城しました。

「コシャマインの乱」を鎮めたのは
上の国守護蛎崎季繁の客将武田信広
(松前氏祖)で、
信広は乱後に花沢館主蛎崎季繁の養女で安東政季
の娘を娶り、翌年洲崎館を築き居館としました。

その後、信広は地の利があり眺望の利く勝山館を築き移り住みました。

勝山館の築城年は不明
文明5(1473)年に館神八幡が建立
されていることから
この前後と考えられます。

永正11(1514)年に
2代目光広は松前大館に本拠を移すと、勝山館
は城代支配となりました。

その後、享禄2(1529)年の「タナケシの乱」
天文5(1536)年
「タナコナの乱」のアイヌの武力蜂起や
天文17(1548)年には
城代基広の惣領家への叛乱等で
勝山館周辺は絶え間なく武力衝突が起こっていました。

文禄5(1596)年に松前慶広は豊臣政権下の大名として認知され、
この頃上の国に檜山番所を置き、勝山館を廃したとされます。

 



松前城資料館
松前町郷土資料館


松前城の天守の内部は、「松前城資料館」となっています。7773d789.jpeg

ここには松前藩の御用船だった長者丸の展示品や「桜下美人図」など

蠣崎波響の絵画、鎧(よろい)や衣服など藩政時代のさまざまな資料

が展示されています。


町民総合センターにある「郷土資料館」は、
松前町の歴史や生活の博物館です。

津軽海峡をはさんで行き来した縄文文化の土器から、藩政時代の商人
文化の
華やかさを伝える「求福山山車」などの文化や、庶民の暮らしを
伝える「漁家」
の様子も再現されています。



2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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HN:
上家二三夫
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