2012/10/26 07:24:44
北海道人 20
「北海道人」とは、幕末の探検家松浦武四郎の雅号である。
北海道で松浦武四郎の碑が建立されている所。建立年月日・碑別・所在地・碑文
●大正8.5.3 河東郡音更町下音更鈴蘭公園 歌碑
「此のあたり馬の車のみつぎもの 御蔵を建ててつまま欲しけれ」
●昭和15年 阿寒郡阿寒町阿寒湖畔ポッケ林道入口 漢詩の歌碑
「水面風収夕照間 小舟欅棹沿崖還 忽落銀峯千仭影 是吾昨日所攀山」
●昭和32.11.3 勇払郡厚真町豊里 歌碑
「えみしらもしらぬ深山に分け入れば ふみまよふべき道だにもなし」
●昭和39.11.3 虻田郡京極町青年の家構内 歌碑
「天津風胡沙吹き払へしりべしの 千代ふる風に照る日影見む」
●昭和45.9 目梨郡羅臼町ひかりごけ洞窟前 歌碑
「仮寝する窟におふる石こすげふきし菖蒲とみてこそはねめ」
● 中川郡美深町紋穂内 森林公園びふかアイランド内 歌碑及び踏査之地碑
「ゑみしらは筍にもる飯も古のさまをつたへて葉椀にぞもる」
「かきならす五つの緒ごと音さえて千々の思いをわれもひきけり」
● 留萌郡小平町鬼鹿広富48 にしん文化歴史公園 歌碑
「名にも似ずすがたやさしき女郎花なまめき立てるおにしかの里」
● 天塩郡天塩町更岸 天塩川河口鏡沼海浜公園 歌碑
「蝦夷人のみそぎなしたる天塩川今宵ぞ夏のとまりをばしる」
「ながむれば渚ましろに成にけりてしほの浜の雪の夕暮れ」
(写真は留萌郡小平町鬼鹿広富48 にしん文化歴史公園)
2012/10/23 07:50:18
厚田村(あつたむら) 3
明治時代に入ると、本州から続々と集団移民が始まり、
厚田にも多くの人々が入植した。
明治4(1872)年以降、山形県14戸をはじめとし山口県127戸、石川県42戸、
兵庫県30戸のほか、南部団体(岩手、青森県)、新潟県などから入り、
望来(もうらい)、聚富(しゅっぷ)(しっぷ)、発足(はったり)、正利冠(まさりかっぷ)
などで開墾が進んだ。
そのような中に、彰義隊に参加し箱館戦争に敗れ捕虜となり釈放された
梅谷十次郎(通称斉藤鉄太郎又は鉄五郎)がいた。
彼は子母澤 寛(本名・梅谷 松太郎)の祖父である。
網元となり、旅館と料理屋を兼ねた「角鉄」も経営し村の顔役となり、
御家人くずれのやくざ風な人だったらしい。
(写真は、今の厚田漁港の朝市)
2012/10/22 07:19:21
厚田村(あつたむら) 2
札幌から車で日本海に出て国道231号を北上すること
約1時間で厚田村がある。
更に北上すると浜益、増毛、留萌である。
厚田村とは厚田郡に所属していた村のことで、7年前(2005年)
浜益村と共に石狩市へ編入され厚田区となった。
現在の人口は約2,500人。 この「あつた」の地名は古く江戸時代初期(1661年)
松前藩「新御国絵図」にすでに記載されている。
日本海は江戸時代から松前、江差をはじめとする漁場
として開かれており、松前藩によって「アツタ場所」が開かれていた。
「場所」とは、松前藩がアイヌと交易する区域を「場所」とよび、
江戸の初期には家臣に給与の代わりに場所権利を与えていた。
更に後期には、この「場所」を一定の運上金(税金)と引き換えに
場所請負人とよばれる商人にまかせるようになった。
アイヌとの交易とは、干鮭、熊や鹿の毛皮など。
(写真は厚田村を上から見たところ、山々がよくわかる)
2012/10/21 08:01:24
厚田村(あつたむら) 1
タイトルが「厚田村」という本がある。
著者は映画監督・脚本家の松山善三で潮出版社より1994年に
単行本で出版されている。
題字・梅原龍三郎/装幀・高峰秀子と豪華な上・下巻。
一人の女性を通して、明治の終わり(日露戦争)から、
終戦後(昭和20年)までの波乱の半生を描いた小説だが、
面白いのは厚田村の地名や実在の人物が登場してくる。
又、時代考証が行き届いているので、どこまでがフィクション
なのかが分からない。
更に、情景や描写が実に巧みで活気に溢れている。
地域名が土地勘に当てはまり、実在の人物(らしき人)を含め
て物語を構成しているので、明治・大正・昭和の北海道が実
に良くわかる。
少し、この厚田村について書いてみたいと思う。
(写真は今の厚田区のマップ)