2009/09/23 00:40:49
深川の歴史 その7
(深川の小史より)
大阪地方で実業家として活躍していた兵庫県の石橋末吉は
明治政府の方針に賛同し農場を開く計画を立てた。
1896年(明治29年)、多度志(たどし)で448ヘクタールの
土地を政府から借り受け、石橋農場を開くこととし、
各地から70戸ほどの農家を集め主にバレイショを植えた。
しかし、水害や冷害の年が多く収穫もわずかであった。
その上、畑を鳥や熊、狐、狸などに荒され食糧不足となりせっかく
開墾した土地を離れて他へ移るものもいた。
石橋末吉は、教育にも熱心で農場の子供たちのために学校をつくった。
この学校は、当時石橋小学校と呼ばれた。
深川から幌加内までの間の道路を作る工事が行われていたが、
1899年(明治32年)鷹泊駅逓が、翌年には、多度志駅逓ができた。
石橋農場のほか、宇摩団体や、幌成の児玉農場、鷹泊の宇野牧場などで、
今の多度志が開かれて行った。
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