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北海道の歴史を刻んだ人々nakayama4.jpg

 

中山 久蔵(なかやま きゅうぞう)2

文政11321
182854日) - 大正8年(1919年)213日。

 

 

 

 久蔵は現在の大阪府南河内郡太子町で、
1828(文政11)松村三右衛門の次男として生まれました。
江戸から明治へ時代が大きく変わろうとしている頃で、家の跡取りができない
次男として生き様をどうするのかが中々定まらず17歳で家を出て大阪と江戸
の間を流浪していました。
 25歳のころ仙台藩士片倉英馬の下僕として仕えることになり、
仙台と白老の間を何度か往復するようになりました。

 やがて時は、京都では鳥羽伏見の戦い、東北では新政府軍と旧幕同盟軍
が戦うなど風雲急を告げ、久蔵は何を思ったか最後の将軍であった徳川慶喜
が恭順謹慎の身となっている駿府(現在の静岡)へ移り8ヶ月位滞在して仙台
に再び戻り、そこで北海道移住を決意し1869(明治2)12月白老に渡りました。
時に41でした。

 人づてに苫小牧に移り開墾に着手したが、土壌が開墾に向かないと判断、
1871(明治4)紹介された現在の島松沢に移りました。
その時に姓を中山に改めました。
土地は沢に囲まれ小川が流れ開墾に向いていましたが、あるべき小屋は屋根
もなく朽ちたもので、熊笹を積み重ねその中に入り込んで寒さをしのぎました。
昼夜にわたり森林を切り開墾地を広げ、念願の米つくりに挑戦をしました。

  驚異的な久蔵の働きは評判となり開拓使にも知れ、
1872(明治5)松本十郎判官から一人分の扶助がありましたがこれを辞退
し自主独立を貫きました。

 


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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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