2013/01/06 08:28:20
十勝国(とかちのくに) 20
晩成社出発
明治16年(1883年)4月6日に13戸27人が横浜に集結した。
北海道に向けて4月10日、午後6時、煙をはく船は出港した。
4月14日、午前11時、雨上がりの函館に入港した。
27名の中で北海道に上陸したことのあるのは、依田勉三だけであった。
他の者は初めての来道である。津軽海峡から函館港に到着後、更に延々
と東にある「十勝国」という陸の孤島へどのようにして、たどり着いたのか
興味のあるところだ。
依田勉三は27人が同じ道程をとって同じ日に入地すると思っていた。
しかし、 早くも函館で勉三の意見に異を唱えるものも出てきた。
陸路を嫌い海路で行く者たちと二手に別れた。
いつの時代も同じで、人が集まればナンバー2が問題となる。
陸路も海路も幌泉(襟裳岬・現黄金道路)が命がけの旅となった。
1902年(明治35年)の青森『八甲田山死の彷徨』の夏バージョンとなるところだった。
(写真は、新しくなった函館五稜郭タワー)
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