2013/01/12 08:31:30
十勝国(とかちのくに) 26
三県一局時代
晩成社の不運は明治15年に開拓使が廃止となり、
札幌県・函館県・根室県の三県一局と重なったこともある。
十勝国が札幌県の行政区画となった。
札幌と十勝は山脈の遥かかなたである。
更に、この三県も明治19年には廃止され道庁制度が設立される。
勉三の嘆願書は、紙くずでしかなかった。
晩成社は政府が進める移民制度と異なるのは、全て自費であることだ。
これは、明治3年に北海道に渡った仙台藩と同じである(伊達・当別など)。
屯田兵は建物・生活の道具・食料は入地時支給される
(一棟200円で現在の伊藤組が請け負っていた)。
更に戸数は100~200単位で多数の仲間がいた。
道路は囚人よって開削されていると雲泥の差があった。
勉三は、大津港まで道の開削を政府に何度も嘆願書を送るがナシのつぶて。
帯広と下界の連絡は大津まで出ていかなければ繋がらない。
手紙も米・味噌・塩などの食料を伊豆から送ってもらうが、引き取りに行くには
2~3ヶ月に一回のありさまだった。
輸送が絶たれており、蚊・ブヨ・アブに悩み、そうしてバッタの大群、衛生環境
の悪い中でマラリヤ病であった。
(写真は糠平で、ミヤママタタビ・葉が白からピンク色に変わる)
PR