2013/01/14 08:09:36
十勝国(とかちのくに) 28
十勝分監創立
1895年(明治28)4月1日、
北海道集治監としては最後になる五番目の十勝分監が開庁した。
刑期12年以上の重罪犯を収容するので、入所は多いが出所する者は少ない。
十勝分監の所有地は、現在の帯広駅北部の十勝川から、柏林台団地・競馬場
・緑が丘・駅南・自衛隊・南町・自由が丘などすべて、南部一帯は囚人により
農耕地として開拓された。
当時の一般住民は上川・河東・河西の三郡で約800人。
これに対して、十勝分監は囚人1200人、職員500人で倍の人数が一挙に帯広
に流入した。
現在の大通(当時は監獄道路と呼ばれていた)が整備され、市街地誕生の基礎
となった。
更に、勉三が嘆願していた大津までの道も囚人によって開削された。
以後、下帯広村は、明治35年(1902)に十勝で最初の町となり、
昭和8年には市制が施行された。
これらの土地は明治40年に鉄道が開通し、徐々に土地所管換えをして昭和51年
に全て市に明け渡されることとなった。
(写真は、十勝川河口付近)
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