2013/01/15 05:46:19
十勝国(とかちのくに) 29
二宮尊親
明治29年(1896)、二宮尊徳(金次郎)の孫である尊親が牛首別(豊頃)を訪れ
依田勉三と交友が始まる。明治16年以来孤立していた勉三にとっては、ようや
く気持ちが通じる人との出会いであったろう。
二宮尊親(そんしん)は
報徳思想によって農村復興を指導した二宮尊徳の孫にあたる。
幕末に二宮尊徳(金次郎)は藩の立て直しに幕府の要請で指導にあたっていた。
報徳思想とは、江戸時代末期の農政家二宮尊徳の考えを実践することであり
「以徳報徳」に由来する。
尊親の父親、尊行が相馬藩(福島県)に招かれ、相馬に移り荒廃した農村を救っ
た話はよく知られている。しかし、明治維新とともに藩は廃止となった。
尊親は相馬の農民19戸と「興復社」を結成し、
新天地を目指して豊頃村牛首別に移住したのである。明治30年のことだった。
報徳思想は実を結び、翌年14戸が合流し明治35年までに160戸が移住した。
豊頃町には、二宮という地名が今も残っている。
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