2013/01/16 07:55:56
十勝国(とかちのくに) 30
報徳思想の継承
二宮金次郎の報徳思想が北海道で継承された地区は3ヶ所ある。
幕末の道南地区と札幌地区。そうして、十勝国の豊頃町であった。
明治維新の10年前(1858)、江戸幕府の開拓政策に沿って現在の道南、
木古内町と七飯町に開墾で来道した人がいた。
小田原出身の幕臣「大友亀太郎」で、二宮尊徳の門下生である。
亀太郎は田畑の土地開発と、48戸の農家の入植を8年間かけて成し遂げた。
この実積をもって、石狩国札幌郡(現在の札幌市東区)の開拓に入る。
当時の札幌は原生林そのままで、農民入植地として適切な土地を尊徳の教え
に従い測量を交えて探し、フシコサッポロ川(現・伏古川)の上流周辺地域を
「御手作場(おてさくば)」として定めた。
当時最新鋭の技術を駆使して整備が行われ、およそ4キロに渡る用排水路の
建設が含おこなわれた。これが、後に創成川の土台となる「大友堀」である。
現在のススキノ近くから水路を造り、伏古川まで通じる用排水路が設けられたこ
とで、街づくりの起点となった。
この一帯が「札幌元村」として定められ、札幌黄を生み出した玉葱耕作である。
(写真は、恵庭にある二宮金次郎銅像で、珍しい草履を差し出す金次郎である)
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