2013/01/17 07:38:22
十勝国(とかちのくに) 31
日本人開拓のプロフェッショナル
幕末に大友亀太郎が北海道開墾に派遣された。
二宮金次郎の代行である。
維新後、新政府がお雇い外国人を70数名北海道に注ぎ込んだが、
日本人のプロフェッショナルとして、最初に来道した人物だった。
返す返す思うが、明治維新の新政府は東京での指揮だった。
蝦夷地は、元々アイヌ民族が先住民として生活をしていたところである。
現地で指揮をとらなければ、実情は把握できるものではなかった。
新政府となり、大友亀太郎は大いに不満であったのであろう。
小田原に帰ってしまった。
探検家、松浦武四郎も新政府に判官の命を受けるが蝦夷地へ命令が
下されず東京待機であった。辞令を突き返してしまう。
また、「アッシ判官」と呼ばれた松本十郎は、黒田清隆が探し回るが
厚田のアイヌ部落から出てこなかった。
屯田兵の宿舎が今も当時のまま残されている。
中を覗けばとても寒冷地では住める建物ではなかった。
それでも、依田勉三たちの拝み屋よりはましであるが。
以前、鹿児島の南端で築180年の民家で泊めてもらったことがある。
屯田兵宿舎の構造と似ており、よくよく住人に「何故この構造なのか」
と聞かせてもらったことがある。南方での住宅で納得したものである。
開拓使長官「黒田清隆」も、屯田兵司令官「永山武四郎」も薩摩藩であった。
(写真は、屯田兵の住宅の中)
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