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十勝国(とかちのくに) 37
 関寛斎
 

 千葉の東金生まれ、順天堂大前身である佐倉順天堂で
医学を学び徳島で藩医となり、戊辰戦争で名医といわれた
関寛斎である。
余生の安逸を捨て、それまでの全ての財産を十勝の辺境地
に注ぎ込んだ。
 

 北海道開拓にあたっては10年間の周到なる準備をしていた。
四男の又一を札幌農学校(現北海道大学)に入学させる。
更に石狩に農場を開かせ、陸別斗満原野にも先発して入地さ
せていた。
 しかし、この又一と牧場経営を巡って確執がうまれた。
寛斎は、豊頃の二宮尊親のところに何度も訪ねている。
農場を解放して自作農100戸を育てあげたいという寛斎。
農学校仕込みの又一は、アメリカ式大農場をという。
理想主義と現実主義の衝突である。

 
又一と共に10年間斗満で開拓に人生を捧げ82歳で服毒し、
自らの生涯を閉じた。
最後まで、自由人たらんとした者の一流の結末の付け方だった。
寛斎自殺後、9年で又一は行き詰まり、陸別を去ることとなった。


(写真は、陸別関寛斎記念館に保存されている司馬遼太郎の色紙)

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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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