2013/01/31 09:04:55
十勝国(とかちのくに) 45
開拓神社(37柱)
今は「開拓」という単語は死語となり、「ボーイズビアンビシャス」が
北海道を語る言葉となってしまった。
北海道神宮の境内に「開拓神社」といわれる建物がある。
北海道の開拓に心血を注ぎ、偉大な業績を果たした人達を祀る神社である。
神社の入口に間宮林蔵、高田屋嘉兵衛、松浦武四郎などの名前が並んでいる。
昭和13年に、当時の北海道庁長官が、開道70年を記念して全道から奉斎神の
申請を求め、36柱が選考され建立された。
北海道神宮は、ロシアに対する守りということで、正門が北東を向いている。
しかし本来、北海道神宮に参拝に来る人は、こちらもお参りしなければならな
いだろう。
こちらの神社が命を賭けて日本の国土としてロシアから守り、未開の地を切り
開いた生き神様である。
歴史上一番古い人物は武田信広、松前藩の始祖である。
室町時代、若狭国の武田氏の一族の子で、1454年道南の上ノ国に渡ってきた。
北海道の歴史は浅いが、蝦夷地の歴史は古い。
当初は36柱で祀られていたが、昭和29年にもう一柱が追加された。
それが帯広の農聖といわれた依田勉三である。
晩成社は失敗したが、依田勉三が未開の地に挑戦し、数々の試みた事業が
今の十勝国である。
官僚でもない、平民である勉三の柱には意味深いものがある。
現在37柱となって祀られている。
北海道神宮は、観光のスポットとして外国人も訪れているが、この開拓神社が
あることは余り知られていない。
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