忍者ブログ
2024 05
≪ 2024 04 1 2 3 45 6 7 8 9 10 1112 13 14 15 16 17 1819 20 21 22 23 24 2526 27 28 29 30 31 2024 06 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



 
十勝国(とかちのくに) 45
 開拓神社(37柱)


   今は「開拓」という単語は死語となり、「ボーイズビアンビシャス」が
  北海道を語る言葉となってしまった。

 北海道神宮の境内に「開拓神社」といわれる建物がある。
北海道の開拓に心血を注ぎ、偉大な業績を果たした人達を祀る神社である。
神社の入口に間宮林蔵、高田屋嘉兵衛、松浦武四郎などの名前が並んでいる。
昭和13年に、当時の北海道庁長官が、開道70年を記念して全道から奉斎神の
申請を求め、36柱が選考され建立された。
 

 北海道神宮は、ロシアに対する守りということで、正門が北東を向いている。
しかし本来、北海道神宮に参拝に来る人は、こちらもお参りしなければならな
いだろう。
こちらの神社が命を賭けて日本の国土としてロシアから守り、未開の地を切り
開いた生き神様である。

 
 歴史上一番古い人物は武田信広、松前藩の始祖である。
室町時代、若狭国の武田氏の一族の子で、1454年道南の上ノ国に渡ってきた。
北海道の歴史は浅いが、蝦夷地の歴史は古い。


 当初は36柱で祀られていたが、昭和29年にもう一柱が追加された。
それが帯広の農聖といわれた依田勉三である。
晩成社は失敗したが、依田勉三が未開の地に挑戦し、数々の試みた事業が
今の十勝国である。
官僚でもない、平民である勉三の柱には意味深いものがある。
現在37柱となって祀られている。

北海道神宮は、観光のスポットとして外国人も訪れているが、この開拓神社が
あることは余り知られていない。
PR


この記事へコメントする








絵文字:
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字








2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
HN:
上家二三夫
性別:
男性