2012/12/24 07:36:11
十勝国(とかちのくに) 7
「和人地とアイヌ蝦夷地の崩壊」
今年は根室市でロシア使節・ラクスマンが来航して220周年の
記念イベントが開かれているという。
ラクスマンが根室港にきたのは1792年10月20日。
通商を求めるのが目的だったが、大黒屋光太夫も同船していた。
しかし、イベントは今ひとつ盛り上がらないという。
今年は日本の領土が大きな政治問題となった。
南の尖閣諸島にお株を取られて、北方四島が隠れてしまった。
江戸幕府が蝦夷地に本腰をいれたのは領土問題があったからである。
本来、蝦夷地は松前藩の支配地で、アイヌ民族との交易を通して収益を
上げていた藩だった。
当時、蝦夷地を4つに分割し、渡島半島の半分を松前藩領とし東蝦夷地
(太平洋側根室・千島まで)、西蝦夷地(熊石から石狩・宗谷、知床まで)、
北蝦夷地(樺太)としていた。
松前藩領が和人地で日本海の熊石に関所を設け、その他の地域に住む
アイヌとの交易を独占していたのである。
アイヌ民族とは、住み分けられており十勝国も例外ではなかった。
しかし、天保の飢饉(1832-36)のころには、蝦夷地に出稼ぎにくる和人漁民
が増加し、和人の蝦夷地永住を黙認せざるをえなくなった。
そうして、文久元年(1861)にとうとう蝦夷地旅人改めを廃止するにいたった。
和人地とアイヌ蝦夷地の分離支配体制は崩壊していったのである。
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