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十勝国(とかちのくに) 8 

「探検家松浦武四郎」

 
昨日の朝方は、北海道は冷え込んだ。
士別市で-28.7℃という。この地域は人造湖の朱鞠内があり
最も気温が下がる所で昔は小学校は-27℃を超えると休校となった。



 十勝国の内陸地に和人(日本人)で最初に踏み込んだのは
探検家松浦武四郎だった。
この大平原を肥沃の大地であることを宣言した人物は二人いた。
一人が松浦武四郎、もう一人は明治維新後日本に来たホーレス・ケプロンだった。

 
 武四郎の実際の踏破は安政5年(1858)2月から3月にかけてである。
冬は、それまで一度もなかったので望んでのことだった。

 石狩河口港(現石狩市)から、石狩上流チクベツ番屋(今の旭川)を経て、
富良野盆地方面に向かい、川を遡って十勝山系の裾伝いに国境を越えて
十勝(現新得町)に出た。
そうして更に十勝川筋を下って、海岸十勝川河口(大津)までの行程である。
極寒期で未だ寒く、しかも歩行には条件の悪い融雪期でもあった。
   (旭川から十勝へは1858年3月5日~3月18日)



この後、武四郎は十勝から釧路に向かい知床へ、そうして宗谷と回り、
天塩を南下して石狩に戻り、千歳から胆振に入り松前と蝦夷を一周。

更にその数ヵ月後に再度十勝原野を訪れた。
今度は太平洋側広尾から北上の探検であった。
よほど、十勝が気になったのではないかと思える。
それにしても、身長1m45cmの武四郎はよく歩く。
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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