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「琴似屯田兵村」111f88cc76.jpeg


明治政府の東北処分 3

 

最初の屯田兵、琴似へ

 初めの屯田兵として琴似へやって来たのは、
 斗南藩と庄内藩(酒田県)の人々でした。

彼等には明治8513日までに青森港へ出頭せよとの屯田事務局の通知が
既にわたっており、集まった第一陣223名には同日「乗船の注意書」が手渡されます。
 注意書には乗船の順番のほか、「便所の以外の場所で、大小便をしてはならない」
といった細かな事まで記載されていました。

 移住者の多くは、蒸気船に乗るのは初めての経験だったのでしょう。
また、これから向かう北海道のことなどほとんど知識がなく、ましてや「琴似」というの
が、一体どんな場所なのか想像もできませんでした。
 さて、翌14日午後3時に一行をのせた通済丸は青森を出航し、2日後の16日に小樽
に入港します。彼等はその晩、小樽の宿屋、芝居小屋などで一泊しましたが、この時、
これから入居する兵屋の番号のくじ引きも行われました
 翌17日、小樽を徒歩で出発した一行は、銭函を経て36kmを踏破、琴似に入地したの
は午後6時頃と記録されています。
 琴似に着いて彼等がまず見たのは、整然と建ち並ぶ兵屋でした。

「開拓使最初の屯田兵」に以下のような記述があります。

「時は本道は草萌え出ずる頃、亭々たる柏の密林の中に建てられたるささや
かな此の兵屋に落ち付き、遥か故郷を後にして始めて蝦夷地の風景に接した
人々は、荒涼寂漠たる感があったが、これ我が住居なりと思へば、いささか慰
められ安堵の思を為し、将来に対する希望が湧き出たといふことである」


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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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