2010/08/04 00:12:26
赤心社 6
赤心社は共済機関として社則を改めて、個人への開墾地配分をやめて、
赤心社がすべてを保有することとし、以後開拓事業は農業のほか
牧畜・農産加工・商店経常へと多角化していった。
赤心社がすべてを保有することとし、以後開拓事業は農業のほか
牧畜・農産加工・商店経常へと多角化していった。
明治42年赤心社は一人の偉大な指導者を失った、
それは副社長澤茂吉の死である。
それは副社長澤茂吉の死である。
澤に次いで社用鈴木清が亡くなり、赤心社も転換期を迎え
二代目社長に森田金蔵が就任した。
二代目社長に森田金蔵が就任した。
赤心社のもっとも不況の時期であったが、やがて第一次大戦の勃発により、
その不況から脱皮することが出来た。
以後紆余曲折があったが、昭和15年森田金蔵が死亡すると、従来の社長制
が廃止された。
その不況から脱皮することが出来た。
以後紆余曲折があったが、昭和15年森田金蔵が死亡すると、従来の社長制
が廃止された。
終戦後は小作地を順次開放して事業の一大転換がなされ、本店を荻伏村に
移し、社業の形態も著しく変わったが、創業の趣旨は今も脈々と受け継がれ、
赤心社は昭和54年結社百年を迎えた。
移し、社業の形態も著しく変わったが、創業の趣旨は今も脈々と受け継がれ、
赤心社は昭和54年結社百年を迎えた。
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