2010/08/19 00:08:23
蠣崎波響(かきざき はきょう)1
宝暦14年5月26日(1764年6月25日) - 文政9年6月22日(1826年7月26日)
日本の画家、松前藩の家老。松前藩第12世藩主松前資廣の5男。
13世藩主道廣は異母兄。
母は松前藩家臣長倉長左衛門貞義の娘・勘子。
別号に梅香舎、梅痩舎、柳民舎、滄岡軒などがある。
生まれた翌年に父が亡くなり、兄が跡を継いだため、家禄五百石の家老蠣崎家の跡継養子になる。幼い頃から画を好み、8歳の頃馬場で馬術の練習を見て、馬の駆ける様を描いて人々を驚かせたと伝えられる。
叔父の松前広長は波響の才能を惜しんで、安永2年(1773年)に江戸に上がらせ、南蘋派の画家・建部凌岱に学ばせた。間が悪く翌3年に凌岱が亡くなると、師の遺言に従い宋紫石に師事。
天明20年(1783年)20歳の時松前に戻り、この年の冬から大原の呑響が約一年松前に滞在し、以後親交を結ぶ。波響と号したのはこのころからである。
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