2013/02/24 08:26:19
アイヌ民族の蜂起 20
豊臣秀吉の朱印状
天正18年(1590)豊臣秀吉は小田原征伐によって全国統一を成し遂げる。
五代目蛎崎慶広は、秀吉の奥州検地や全国的な新たな動きに対していち早く動いた。
奥州の豪族の根回し、安東家に対する根回し、そうして秀吉を追って全国を駆け回る。
文禄2年(1592)秀吉より蝦夷島主と認める「朱印状」と、献上鷹道中伝馬の印章を下された。
これは、蝦夷交易徴税権と、蝦夷にたいする和人のとりしまりや、蝦夷の保護者すなわち
支配者の地位を認めたものである。
「豊臣秀吉の朱印状」
松前において、諸方より来る船頭商人等、夷人に対し
地下人に同じく、非分の儀申しかけるべからず。
並びに船役の事、前々よりあり来る如く、これを取るべし。
自然此旨に相背く族これあるにおいては、急度言上すべし
速やかに御誅罰を加えられるべきもの也
文禄二年正月五日 朱印 蛎崎志摩守とのへ
この朱印状を持って、アイヌたちを集め、これに逆らえば和人の大将が何万という兵を
蝦夷に向けて戦いに来るであろうと威嚇したのである。
(写真は、豊臣秀吉朱印状時代の蝦夷地)
豊臣秀吉の朱印状
天正18年(1590)豊臣秀吉は小田原征伐によって全国統一を成し遂げる。
五代目蛎崎慶広は、秀吉の奥州検地や全国的な新たな動きに対していち早く動いた。
奥州の豪族の根回し、安東家に対する根回し、そうして秀吉を追って全国を駆け回る。
文禄2年(1592)秀吉より蝦夷島主と認める「朱印状」と、献上鷹道中伝馬の印章を下された。
これは、蝦夷交易徴税権と、蝦夷にたいする和人のとりしまりや、蝦夷の保護者すなわち
支配者の地位を認めたものである。
「豊臣秀吉の朱印状」
松前において、諸方より来る船頭商人等、夷人に対し
地下人に同じく、非分の儀申しかけるべからず。
並びに船役の事、前々よりあり来る如く、これを取るべし。
自然此旨に相背く族これあるにおいては、急度言上すべし
速やかに御誅罰を加えられるべきもの也
文禄二年正月五日 朱印 蛎崎志摩守とのへ
この朱印状を持って、アイヌたちを集め、これに逆らえば和人の大将が何万という兵を
蝦夷に向けて戦いに来るであろうと威嚇したのである。
(写真は、豊臣秀吉朱印状時代の蝦夷地)
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