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アイヌ民族の蜂起 23

 英傑シャクシャイン像碑文

  静内(シベチャリ)は、2005年の映画「北の零年」の舞台となった地でもある。
この映画は、明治4年5月に淡路島の徳島藩洲本城代家老稲田邦植の家臣546人
が上陸した地でもある。
春になれば通称二十間道路という桜の名所があり競走馬の産地でもある。
真歌公園には、アイヌ民俗資料館やシャクシャイン記念館があるが、シャクシャイン像
の隣には、1970年にシャクシャイン碑文が建てられた。
明日から、アイヌ民族最大のシャクシャインの蜂起を掲載するが、まずはこの碑文を
読んでいただきたい。
 
 英傑シャクシャイン像碑文日本書紀によれば、斉明の代(西暦650年代)において、
すでに北海道は先住民族が安住し、自らアイヌモシリ(人間世界)と呼ぶ楽天地であり、
 とりわけ日高地方は文化神アエオイナカムイ降臨の地と伝承されるユーカラ(叙事詩)
の郷であった。
今から約300年前、シャクシャインは、ここシビチャリのチャシ(城砦)を中心としてコタン
の秩序と平和を守るオッテナ(酋長)であった。
 当時、自然の宝庫であった此の地の海産物及び毛皮資源を求めて来道した和人に
心より協力、 交易物資獲得の支柱となって和人に多大の利益をもたらしたのであるが、
松前藩政の非道な圧迫と苛酷な搾取は日増しにつのり同族の生活は重大脅威にさら
された。
 茲にシャクシャインは人間平等の理想を貫かんとして民俗自衛のため止むなく蜂起し
たが衆寡敵せず戦いに敗れる結果となった。
 しかし志は尊く永く英傑シャクシャインとあがめられるゆえんであり此の戦を世に寛文
9年エゾの乱と言う。
いま静かに想起するとき数世紀以前より無人の荒野エゾ地の大自然にいどみ人類永住
の郷土をひらき今日の北海道開基の礎となった同胞の犠牲に瞑目し鎮魂の碑として、
ここに英傑シャクシャインの像を建て日本民族の成り立ちを思考すると共に父祖先人の
開拓精神を自らの血脈の中に呼び起こして、 わが郷土の悠久の平和と彌栄を祈念する。

  1970年9月15日              シャクシャイン顕彰会   会長 神谷与一
 

(写真は、碑文)
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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