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アイヌ民族の蜂起 3
   親しい隣人のはじまり
 

      蝦夷地に住んでいたアイヌの人達は、
   津軽海峡を渡ってきた和人を「シャモ」と呼んでいた。
   シャモとはアイヌ語で「親しい隣人」という意味を持つ。
   和人(日本人)とアイヌ民族とは、お互いに人として良好であった。
   いつのころから、この関係が崩れてしまったのか。

  和人の集団が最初に蝦夷に入ったのは文治5年(1189年)という。
 源義経は平氏滅亡後、平泉へ逃れて奥州藤原秀衡に庇護されていた。
 文治4年(1188年)、頼朝は泰衡と基成に義経追討を要請する。
  しかし、泰衡は部下に裏切られ藤原氏の栄華はあっけなく幕を閉じた


     その藤原泰衡(やすひら)の残党が海を渡った。
   これが、シャモの第一陣であった。
    北海道には義経伝説が100を越える。
  日本海を北上して稚内から樺太に渡りジンギスカンになったという
  伝説まで生まれている。
  義経伝説の中にはアイヌ娘との恋心を軸に伝承されているものもあり
  アイヌ民族との交流はお互いにうまくいっていたのではないかと思える。
 

   (写真は、北海道最南端白神岬から竜飛岬まで19.2キロ)
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2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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