2013/02/09 11:21:35
アイヌ民族の蜂起 5
津軽の安東一族
文治5(1189)年平泉の藤原氏が滅亡すると、奥州一円は鎌倉幕府の
治下に属して分轄統治されていたが、津軽および南部の北端は漁猟を
主とする蝦夷によって占拠されていたため「東夷の酋長」をもって自任す
る安東氏によって統治されていた。
時代は代わり、安東一族は北条義時から蝦夷の代官に任ぜられ、奥羽
ならびに渡島の蝦夷を管轄し、その守護にあたるとともに、貢税の徴収と
反乱にそなえた。
安東一族は、陸奥津軽十三湊に移り、蝦夷地との交易を中心とした海上交通
に従事する海の豪族となり、安東盛季に至る4代の間ここを本拠地としていた。
十三湊とは、現在日本海にあるシジミの産地
(写真は、安東氏の本拠地の地図・十三湊)
津軽の安東一族
文治5(1189)年平泉の藤原氏が滅亡すると、奥州一円は鎌倉幕府の
治下に属して分轄統治されていたが、津軽および南部の北端は漁猟を
主とする蝦夷によって占拠されていたため「東夷の酋長」をもって自任す
る安東氏によって統治されていた。
時代は代わり、安東一族は北条義時から蝦夷の代官に任ぜられ、奥羽
ならびに渡島の蝦夷を管轄し、その守護にあたるとともに、貢税の徴収と
反乱にそなえた。
安東一族は、陸奥津軽十三湊に移り、蝦夷地との交易を中心とした海上交通
に従事する海の豪族となり、安東盛季に至る4代の間ここを本拠地としていた。
十三湊とは、現在日本海にあるシジミの産地
(写真は、安東氏の本拠地の地図・十三湊)
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