札幌市 3
年表(江戸時代)
安政年間 西本願寺札幌出張所(後の本願寺札幌別院)がおかれる。
1855年(安政2年)
篠路に若宮八幡(後の篠路神社)が創建される。
1856年(安政3年)
発寒に稲荷社(後の発寒神社)が創建される。
1857年(安政4年)
箱館奉行によって銭函と千歳を結ぶ札幌越新道(千歳新道)
が開削され、これにともない
現在の豊平橋付近に石狩役所・荒井金助の命を受けた和人
が渡し守として定住。
志村と家族の3名が右岸(現在の豊平区側)に、吉田茂八と家族の4名が左岸
(現在の中央区側)に、それぞれ住んだ。
1866年(慶応2年)
現在の東区内の札幌村郷土記念館敷地に役宅が建てられ幕臣大友亀太郎が定住、
大友堀(後の創成川)を開削。付近は札幌村となる。
同年、現在の南区内の定山渓温泉に美泉定山によって湯治場が開かれている。
慶応年間 札幌村の本龍寺境内に妙見堂が建立される。
札幌市 2
江戸時代、松前藩によって開かれた石狩十三場所が
1780年代中頃から末期(天明末から寛政初め)にかけて確立。
そのうち五場所が札幌市に相当する地域で、
幕末ころまでは蝦夷(アイヌ)との交易が行われる土地であった。
これら場所と呼ばれる松前藩家臣の知行地は幕末ころまで存続した。
石狩十三場所(いしかりじゅうさんばしょ)
イシカリ十三場所とは、石狩川および支流に
設置された「場所」(交易を行う範囲)の総称。
狭義には運上屋(うんじょうや)・元小屋などのある
石狩川の河口部を指した。
イシカリ十三場所の一覧
1. トクヒラ 石狩川左岸河口付近 石狩市
2. ハッシャブ (現在の茨戸川左岸、発寒川合流地付近、現北区内) 札幌市
3. シノロ (現在の茨戸川左岸、篠路川合流地付近、現北区内) 札幌市
4. ナイホウ (伏古川上流付近、現東区内) 札幌市
5. 上サッポロ (豊平川流域) 札幌市
6. 下サッポロ (豊平川流域) 札幌市
7. 上ツイシカリ 石狩川左岸、豊平川合流地付近か 江別市など
8. 下ツイシカリ 石狩川左岸、豊平川合流地付近か 江別市など
9. 上ユウバリ 夕張川流域 ―
10. 下ユウバリ 夕張川流域 ―
11. 上カバタ 夕張川流域 ―
12. 下カバタ 夕張川流域 ―
13. シュママップ 島松川流域 恵庭市、北広島市石狩温泉番屋の湯
鮭番屋が建っていた地の入浴施設石狩浜の日帰り温泉で
郷土料理も石狩灯台近く、石狩浜の日帰り入浴施設。
慶長年間(1596年〜1614年)に「石狩十三場所」と称され
鮭番屋が建っていた場所だ。
札幌市 1
1,901,656人(人口、2009年5月1日)
札幌市(さっぽろし)は
道庁所在地ならびに石狩支庁所在地。
名の語源は、アイヌ語の「サリ・ポロ・ペッ」
(その葦原が・広大な・川)とする説と
「サッ・ポロ・ペッ」(乾いた・大きな・川)とする説などがある。
政令指定都市の中では浜松市、静岡市に次ぐ広大な面積を持ち、
東京特別区を含めて全国5番目の人口を有する。
アイヌの人たちが住んでいた蝦夷(えぞ)地は、
明治2年(1869年)に北海道と改称されて、開拓使が置かれ
札幌本府の建設が始まりました。
判官・島義勇(しま よしたけ)は、円山の丘からはるか東方を見渡し
街づくりの構想を練ったといわれています。
明治8年(1875年)、最初の屯田兵が入植。
人々は遠大な札幌建設計画に基づいて、鉄道を敷き、産業を興して、道都・札幌を築く。
北海道開拓使によって、京都あるいは、アメリカ合衆国のタウンシップ制をモデルとした
碁盤目状の計画都市として本格的に開発された。
大正11年(1922年)の市制施行以来、近隣町村との度重なる合併・編入によって、
市域・人口を拡大してきたが、昭和45年(1970年)には人口が100万人を突破し、
2年後の昭和47年(1972年)に政令指定都市へ移行する。
政令指定都市札幌には、現在10の行政区がある。
●中央区 ●北区 ●東区 ●白石区 ●厚別区 ●豊平区●清田区 ●南区 ●西区 ●手稲区
江別市 2
北海道の先史を知る上で江別は重要な地の1つである。
江別では後期北海道式薄手縄文土器(後北式土器)が多く出土し、
日本先史の権威である山内静男はこれを江別式土器と名づけ、
この土器が使われた文化を「江別文化(後北文化)」と呼んだ。
その後、7世紀から9世紀ごろに築かれた「江別古墳群」もこの地で発見されている。
江戸時代には、松前藩によって石狩十三場所が開かれ、
このうち上ツイシカリ場所と下ツイシカリ場所が石狩川左岸、
現在の世田豊平川合流地付近に位置していた。
これら場所と呼ばれる商場は、幕末ころまで存続していた。
現在の江別市に和人が定住したのは
1867年に通行屋(旅行者のために宿泊、休憩の場を提供した)
の立花由松が住んだのが最初とされる。
1869年、北海道11カ国86郡が置かれ、現在の江別市に
相当する地域は石狩国札幌郡に含まれた。
1871年、陸前国遠田郡馬場谷地村(現宮城県遠田郡涌谷町)の農民
21戸76名が対雁(ついしかり)に来たのが集団入植の始まりである。
1873年開拓使開墾掛に換地を願い出て受理され、19戸70名が札幌郡雁来村へ
再入植するに至った。跡地は榎本武揚の農場となった。
1878年(明治11年)8月に江別太(現在の王子地区周辺)に屯田兵村が置かれ、
同年11月に江別村が誕生した。
1881年にも養蚕を営む屯田兵が入植したが、これらの試みは成功しなかった。
1882年、官営幌内鉄道が開業し江別駅が設けられると、石狩川水運と鉄道輸送
の結節点として市街地が形成された。
1884年以降3年間にわたり屯田兵432戸が入植し、開拓事業にあたった。
また屯田兵以外の人々による開拓も多かった。
中でも大きな成果を挙げたのは新潟県人による北越殖民社で、
1886年に江別太へ17戸、
1890年には野幌南部へ204戸の入植を果たし、稲作を成功させた。
明治の中ごろになると工業が芽生え始めた。
1891年に江別太で煉瓦工場が操業した。
1908年には富士製紙会社北海道工場(現:王子特殊紙江別工場)が操業を開始。
労働者も多く住むようになり、
1916年には町制を施行した。
第二次世界大戦後には引揚者を積極的に受け入れ、
また戦後復興にも力を注ぎ人口は伸びていった。
1953年(昭和28年)5月23日に市街地の半分を焼く大火を出しながらも、翌年には市制を施行した。
1963年に東野幌に炭鉱離職者団地、翌年道営大麻団地が建設されると宅地化が進行、
札幌の衛星都市としての性格が強まった。
江別市
122,542人(人口、2009年6月30日)
札幌市の東に隣接し、同市のベッドタウンとして
急速に人口が増加した。
アイヌ語由来の地名であるが、
「エペツ」(胆汁のように濁った川))、
「ユベオツ」(チョウザメのいる川))、イプツ(大事な入り口)
などの諸説がある。
江別に最初に移住したのは、
明治4年。
宮城県涌谷領からやってきた21戸76人の農民でした。
明治11年には、屯田兵10戸56人が移住。
同年、明治政府による開拓使府令が布達され江別村が誕生、その後、
各地から屯田兵が入地し、計画的な開拓がすすめられました。
明治41年に北海道最初の製紙工場「富士製紙株式会社北海道工場
(現:王子特殊紙江別工場)」が操業を開始、現在に至る。
国内屈指の生産量を誇る。
新篠津村
新篠津村(しんしのつむら)は、
北海道石狩支庁管内北部にある管内唯一の村。
篠津はアイヌ語の「シリノッ」(突き出たあご)の意。
「本流が同じ深さで、ゆるやかに流れる(シ・ヌッチ)」、
「大きな原野が沼(のような)(シ・ノ・ト)」等の意味。
新篠津村は、新篠津村(現:江別市篠津)から分村したことから名付けられた。
主産業は農業の第1次産業、第2次産業は若干の建設業・製造業とその従事者、
第3次産業は役場・農協・福祉施設・第3セクター等に勤務する職員等。
新篠津村は、石狩川の流域に位置し、農地は必然的に水位が高く、
大根等の根もの野菜はたっぷりと水分を蓄えます。
それに加えて、新篠津村の周囲には高い山や丘がひとつもないため、
西側の手稲連山から強い風が吹き降りて来ますので、新篠津村
このように、葉もの野菜づくりには絶好の条件の新篠津村ですが、
農業に従事する若手の世代の後継者を代表とする人たちによって
次の時代の農業を見つめた、より 安全で美味しい農産物づくり、
そして製品開発が始まっています。
恵庭市
68,523人(人口、2009年6月30日)
恵庭市(えにわし)は、石狩支庁管内南部にある市で、札幌市のベッドタウンである。
市名の由来は、アイヌ語の「エエニワ(エエンイワ) e-en-iwa」(現在の恵庭岳を指し、
鋭くとがった山という意味)。
市域は東西に長く、その中央を漁川(いざりかわ)が東流し、
北東の長沼町との境界部で千歳川に合流する。
北縁には松島川が流れ、北広島市との境界をなす。
南は千歳市に接している。中西部は原野と山岳で、
恵庭市がある。
江別市の江別古墳群や東北北の末期古墳と同様の群集墳が恵庭市域でも築かれた。
皇朝十二銭のひとつ和銅開珎や律令時代の六位以下の位階を示す帯金具などが
見つかったこの古墳群、現在は茂漁古墳群(柏木東遺跡)と呼ばれている。
千歳市
93,211人(人口、2009年6月30日)
北海道の空の玄関である新千歳空港を擁し、
市域の西部には支笏湖がある。
千歳市の開庁は、明治13年、当時はまだ人口もわずか
でこれといった産業もなく、土地が火山灰地帯であったため
農産物にも適さず、先人たちは苦闘のなかで酪農への道を開きました。
今や国際航空定期便が就航する新千歳空港のはじまりは、
大正15年に当時の村民が一致協力して広大な火山灰地に
無償の汗で造った着陸場でした。
陸上自衛隊第7師団と航空自衛隊第2航空団が存在し、人口9万人のうち、
約3万人が自衛隊関係者といわれています。
千歳市は3つの一番があり、世界一、日本一、北海道一である。
◎ 世界一は(ギネス認定)、空港乗降客が一番、
◎ 日本一は、自衛隊の規模、隊員数が一番、
◎ 平均年齢が北海道で一番若い市町村である。
これは、自衛隊日本一と密接に関係している。
東千歳駐屯地は、面積、隊員数とも日本一であり、約4000人が勤務している。
北広島市
60,799人(人口、2009年6月30日)
北広島市(きたひろしまし)は、
石狩支庁管内にあり、札幌市の南東に隣接する市。
農村として発展してきたが、ニュータウンが開発され
札幌都市圏のベッドタウンとして人口が増加。
明治10年に札幌農学校(現在の北海道大学)
初代教頭であったクラーク博士がアメリカに帰国のとき、
学生との別れの際に「青年よ大志をいだけ」の言葉を残した地であり、
また、明治6年に中山久蔵翁が「米づくり」に成功した
北海道寒地稲作発祥の地でもあります。
明治17(1884)年に広島県人25戸103人が集団移住し
開拓の鍬がおろされてからおよそ125年。
「自然と創造の調和した豊かな都市」をまちづくりの理念として掲げ、
市内にある特別天然記念物「野幌原始林」をはじめとする豊かな自然や、
国道、道道、高速道路、JR千歳線などの恵まれた交通網等を活かした、
まちづくりに取り組んでいます。