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富良野盆地(ふらのぼんち)

 

 富良野盆地は北海道中部、
上川総合振興局南部(石狩国東部)にある空知川流域の盆地。

 東側に十勝丘、西側に幌内山地や夕張山地
南は金山峠で占冠村(しむかっぷ)との境界をなし
北部は美瑛町付近の丘陵地に囲まれた盆地。

空知川流域であるため、本来肥沃で
畑作などを中心とし、ジャガイモ、果物、ラベンダーなどが栽培される。

 

根室本線、富良野線、国道38号線が通じる。
周辺には美しい森林が多く、北海道大学の農場をはじめ、東京大学演習林などもある。


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上川盆地(かみかわぼんち)

 

上川盆地は北海道中部
上川総合振興局中部(石狩国東部)にある盆地。

石狩川、忠別川、美瑛川などからなる盆地。

東に位置する道東とは大雪山および石狩山地で、
北に位置する名寄盆地とは北緯44度付近の塩狩峠で隔てられている。

一方、西は石狩川の流れ出る神居古潭(カムイコタン)の部分を除き
北から伸びる天塩山地と南から伸びる夕張山地があり、
これらを境にして西側には石狩平野(空知平野)が広がる。

また、南の富良野盆地との間には丘陵地があり観光名所となっている。

冬は寒いが夏の高温を利用して米作をする道央水田地帯が広がっている。

 

鉄道は函館本線、石北本線、宗谷本線、富良野線が通じ、
また道路は道央自動車道、国道12号、国道39号、国道40号、国道237号が通じており、
道北の交通の要所である。

また、盆地の南端には旭川空港がある。



名寄盆地(なよろぼんち)

 

名寄盆地は北海道北部
上川総合振興局北部(天塩国南東部)にある盆地。

天塩川およびその支流の剣淵川などの流域に広がる細長い盆地である。

北海道内陸部における稲作の最北限地で、冷害を受けることも多い。

東西を北見山地と天塩山地に囲まれ
南端は北緯44度付近に位置する塩狩峠上川盆地と隔てられるが
北西の天塩平野へは天塩川沿いに高地を通らず行ける。

JR宗谷本線が南北を縦断している。

2000年には道央自動車道が塩狩峠を越え、現在は士別剣淵ICまで延長されている。




北見盆地(きたみぼんち)

 

北見盆地
中央部を南西から北東に流れる本流である常呂川(ところがわ)と、
支流の訓子府川・無加川・仁頃川によって形成された。

北見市(きたみし)は、北海道オホーツク総合振興局管内にある市。
網走管内の中核都市。オホーツク総合振興局管内で最大の人口を抱え
2006年(平成18年)には合併で道内8位の人口となったが
面積が広大なため人口密度は低い。

 

西には大雪山、東には網走、知床半島、
北にはサロマ湖、南には阿寒国立公園をのぞむ。

 

山→ 仁頃山 (829m) 、北見富士 (1291m) 、武華岳 (1759m)

河川→常呂川、訓子府川、無加川、仁頃川、小町川

湖沼 →サロマ湖、冨里湖(ダム)

 

気候

海岸部に位置する旧・常呂町の地域は、夏は22度、冬は-10度程度と
季節ごとの温度差は比較的少ない。
しかし近年の気象変化によりフェーン現象が多発。
冬季は流氷が接岸する。

それ以外の地域は盆地にあるため気候は寒暖差が激しく、夏は約35度、
冬は約-20度以下
に達する。
1月の平均気温は-8.8℃、平均最低気温は-14.5℃に達し、日本の主要都市部では
最も冷え込みが厳しい。

しかし、近年の暖冬化により、-20℃以下に冷え込む日数は減少している。
積雪量は北海道内としては少なく、年間降水量も日本の主要都市部では最も少ない。

全国でも有数の日照率の高さを誇り、太陽エネルギーを利用した科学研究が盛んである。




盆地(ぼんち)

 

北海道には主たる盆地は4つあります。

北見盆地、名寄盆地、上川盆地、富良野盆地です。

盆地とは、周囲を山地に囲まれた、周辺よりも低く平らな地形である。

その成因によって侵食盆地と構造盆地に分類され
構造盆地は撓曲盆地断層盆地に分類される。

火山活動によりできるカルデラも盆地の一種であるが
地質学的には通常は含めない。

 

侵食盆地

地層や岩石の軟らかい所が選択的に侵食されて、周囲よりも低くなったもの。

 

撓曲盆地

墝曲(とうきょく)の作用によってできたもの。

 

断層盆地

断層の作用によってできたもの。
両側が断層になっているものと、片側のみのものとがある。
中央部に湖を伴うことが多い。

また、盆地を水が覆って(湖が形成されて)いるものを湖盆
そうでないものを堆積盆地と呼称する。




 

瀬棚平野(せたなへいや)s_madoiwa.jpg

 

檜山(ひやま)支庁(現檜山振興局)
北部にあり北部は後志支庁との境にある
狩場山を中心とした山岳地帯でこれが日本海に
落ち込むところに茂津多岬がある。

南東部も遊楽部岳を中心とした山岳地帯である。
西側は日本海に面した急峻な海岸が続き
狩場茂津多道立自然公園に指定されている。
国道229号が沿岸を走るが、旧国鉄瀬棚線は1987年(昭和62)廃止、バスに転換。

e5393886.gif   瀬棚港は奥尻(おくしり)島へのフェリーが発着する。

   北部は狩場(かりば)山地で、海岸も段丘が多い。

   かつてはニシンの千石場所で栄え、
   現在もイカ、マスなどの漁業が中心。

   乳・肉牛飼育やアスパラガス、ジャガイモ、カボチャ
   などの農業、それら一次産品の食料加工業も行われる。

 
 北部、島牧(しままき)村との境界をなす
 茂津多(もった)岬や狩場山(1520メートル)一帯は狩場茂津多道立自然公園域。
 瀬棚海岸は三本杉岩をはじめとする奇岩、景勝に富む。




湧別平野(ゆうべつへいや)2
img004.jpg
 北海道内においても小雨地域で
冬季の降雪量も少なく快適な生活地域となっています。

"明治30年に屯田兵の入植が始まり
明治
43年鉄道が開通し、開拓に拍車をかかり
耕地は増加しつづけました。
開拓が上流域に広がったことを受けて、農地面積拡大のための
森林伐採が行われました。
木材は湧別川
を使って河口まで流送し、木材積取船に搭載され
運ばれたといわれています。

 

今から約12千年から2万年前の旧石器時代、狩猟を行う人々は
湧別川の源流に近い白滝村に露頭する黒曜石から作られた石器を手に
マンモスやナウマン象を追って環日本海を巡っていたと考えられています。
黒曜石とは、真っ黒なガラス質の石で、「湧別技法」と呼ばれる手法により
当時としては最高級の石器に作り上げられました。

湧別川流域に初めて和人が入植・定住したのは1790年(寛政2年)と
言われ人々はまず豊かな漁業資源をめあてに、河口付近に漁番屋を置き
その後、内陸の平野部へと鍬を入れて行くことになります。

 湧別川の名前の由来はアイヌ語のユベ[鮫]からという説、
ユベ・オツ[蝶鮫・多い]、または、イベ・オツ・イ[魚・豊富・所]等の表現から
来ているとする説があり、水産資源が豊富であったことを窺い知ることができます。

 当時の湧別川流域は鬱蒼とした原生で覆われていたため
人々はまず木を伐りだして開墾し、その肥沃な土地に畑を広げていきました。
つまり、
開拓期の湧別川流域は、漁業と、農業と、農業を行うために
副次的に生まれた林業という3つの基幹産業が原動力となって発展し
はじめることになりました。

 和人の入植がはじまった当時の湧別川河口はサケやマスはもちろんのこと
イトウ、キュウリ、チカ、ボラ、ソイ、ホタテなどの豊かな漁場でした。
しかし、消費地からあまりに遠い辺境の漁場にあって、どれほどの大漁に恵まれても
漁獲物の大半は乾燥あるいは塩蔵品に加工され、函館や小樽の大手商業資本に
安値で引き取られたといわれています。

明治時代に入り、12年に紋別戸長役場が開かれました。
その頃は漁業従事者が多く、農業移民が湧別に入ったのは
3年後の明治15年になります。
その後、明治
26年に湧別に初めて4県の団体が移民し、日清戦争で遅れた屯田兵も
明治
30年に入って開拓を再開、上流域へと進んでいきました。
その頃の湧別川は、大雨のたびに平野部一帯を水浸しにし、洪水の前と後では流れ
の筋を変えることもたびたびでした。
このような土地に、移り住んだ人々は、どんな作物をどの時期に作付けすべきかの
手がかりすらなく、故郷で行っていた農法を頼りに試行錯誤をくりかえしました。
しかし、北国特有の低温に加え、水害、風害、霜害、冷害などがくりかえし襲いかかり、
一年の苦労が水泡に帰すことも少なくありませんでした。
そういった中、
1898年(明治31年)、全道的な大豪雨が発生し、湧別川も大洪水に
見舞われました

川の増水は実に平常水位を
4.6mも超えたと言われ、人々は命からがら高台へ避難し、
収穫目前の作物の流失を茫然自失の体で見送ったと記録に残っています。
この大洪水を契機に治水工事を求める声が沸き起こり、湧別川の治水計画が策定される
こととなりました。




湧別平野(ゆうべつへいや)1
12188665.gif

 

湧別平野は北海道の東北部、
オホーツク海の中央部に位置し、
北海道で最大の湖・サロマ湖を抱え北見峠に水源を持つ
湧別川流域に肥沃大地が広がる地勢を有しています。
平地やゆるやかな起伏のある大地が広がり、標高の高い山は
比較的少なく内陸部に点在する程度となっています。

 

一級河川・湧別川の下流から河口に位置するため
肥沃な恵ある大地では畑作が、山間や河口域では乳牛飼育による
酪農が盛んで、牧歌的な景色が広がります。
また、道内最大のサロマ湖は静かで雄大な景色を楽しませてくれます。
春には街中にチューリップが彩り、みどり豊かな多くの自然があります。

 気候はオホーツク海型気象地帯としての特色をもち、四季を通じて
比較的気温は高く、降水量は年間720mm前後、平均気温は5.8℃前後と
なっており、最高気温は2934℃、最低気温はマイナス1826℃と
なっております。(平成10年~平成19年数値から)



斜里平野(しゃりへいや)syarisora2.jpg

 

知床半島の付け根にあたる斜里平野は
縄文の古より豊かな自然に恵まれ人々が生活し
てきた土地であり、森や木々も暮らしと産業の中にある。
格子状の畑を区切る防風林や斜里岳山麓の森は
今の斜里平野に暮らす人々の原風景といえる。
 

知床半島の基部、秀峰斜里岳を源とする斜里川(しゃりがわ)は、
多くの湧水支流を集め、オホーツク海に注ぎ込んでいます。

川の豊かな水資源は流域に広がる農業地帯を潤し、
北海道一番の漁獲を誇るサケマスをはじめとした水産資源を育んでいます。
 
                     

この地域は斜網地域と呼ばれ,専業農家を中心にテンサイ,バレイショ,ムギ類
を中心に機械化された生産性の高い農業が展開され,
網走支庁全体の農業粗生産額の約50%を占めている。

コムギ,バレイショ,テンサイの栽培面積・収穫量ともに
全道の25~40%を占めている

そして,労働生産性・土地生産性ともに全道の平均を上回っている。 

                                       

 



頓別平野(とんべつへいや)hamatonmap2.jpg

 北海道北部、オホーツク海に面した平野。

背後には宗谷(そうや)丘陵と
北見山地北部のポロヌプリ山地が連なる。

名寄(なよろ)盆地、上川(かみかわ)盆地、
富良野(ふらの)盆地と続く中央盆地列の延長部にあたる。

宗谷総合振興局管内の猿払(さるふつ)村
浜頓別(はまとんべつ)町一帯を占める低湿な沖積地と
砂丘、海岸段丘からなり、南部には泥炭湿原が広がり
クッチャロ湖などの湖沼がある。
泥炭湿原は東天北(ひがしてんぽく)原野ともよばれ、広大な未利用地が残されている。

 

   250px-Lake_Kuccharo.jpg「頓別」は、浜頓別の市街地より、南東約3km
   国道238号に接し、
   「頓別川」「豊寒別川」「クッチャロ川」の合流する
   河口にあり、オホーツク海を望む古くから栄えた
   漁業を中心とした地域です。


世帯数130戸、人口334人(平成20年4月調べ)で、住民は漁業及び関連産業に
従事しており、ホタテや毛ガニといった海産物が有名です。



2008年8月7日。 日本の一番東にある根室から出発します!
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上家二三夫
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